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追悼・小澤征爾さま。世界的大指揮者の故郷は、満洲国だった。満洲帰りの武満徹・安倍公房・木田元に共通する空気感とは。安冨歩元東京大学教授。一月万冊



追悼・小澤征爾さま。世界的大指揮者の故郷は、満洲国だった。満洲帰りの武満徹・安倍公房・木田元に共通する空気感とは。安冨歩元東京大学教授。一月万冊

はい皆さんこんばんは泰ゆみですえ指揮者 の小澤誠治さんが亡くなりました88歳 でした私はクラッシックファンなのでえあ それ本当残念だなま88歳で5病気であっ たとはいえあんな大式者お亡くなりになっ て残念だなと思ったんですがその後にです ねものすごい量のニュースが出てきたので これはびっくり出しましたなからそ クラシック音楽というですね狭い領域を 超えたえ戦後日本のですねその成功を象徴 する人物だったんだなっていう風に改めて 思った次第ですのでえお話ししたいと思い ます多これ毎日新聞ですけどもえちょっと 検索した小沢政治で検索するとですねえ そのこれだけ記事が出てまいりますえま これニューヨークタイムズで出たとかね うんでからえ長南は小沢誠だとかねあの えでと秋山和義さんがま後輩の指揮者の 松本ですですねあのものすごい世界的な 音楽さを開いているのでえそれに市長が 感謝してるとかウン国立過激場というま クラシック音楽のね伝動みたいなところの え音楽監督というですねえすごい地位に 登られたま期間短かったんですけれども それからあのボストン公共楽団ここでは ですね29年にわたってえボストン公共学 団を引きてまそれだけ長い間指揮者がです ね1つの大きさを指揮するってことはもう 現在ではないと思うのでまそういうその 指揮者とオーケストラがねえ長く結びつく 最後の次第最後の世代の指揮者だったのか なと思います がでえまN教N教はですねN教はN技政治 と喧嘩したりなんかもしたことがあったり とするのでそれにも教事件にも触れた コメントを出していますでえっとまとその すごい量のこう追悼の記事が出ておりまし てえこれまだもっと見るでしょまだ出るん ですよこれどんどん出る ルモンドブルージュ もウィンフィルハーモニーっていうのはだ からえとウン国立過激場のがオーケストラ とてやる時の名前だと思うんですけどま そういう形でですねあのまだあるんですよ えまだ莫大なAP通信がえ報じだと128 年歴史で最も長く式を取ったこれウィン フィルドかなボストン何の話なんだえま そういうわけでですね莫大な記事が出て おり ますこんなに出るんだと思っていくらなん でもまここでやっっと終わりましたね 江戸川京子さんというまこれも偉大な ピアニストですけど記事に変わったでここ までなんでしょうねいやまこれはすごい すごいですねこのこんなにニュース

バリューがあるんだっていうことに改めて 驚きましたがえっと小沢政治さんのこの 記事の中で私が気になるのはこれだったん ですいや9万州生まれの小沢政治さん中国 でもツイート偉大な芸術家ってことでえ旧 満州の生まれなんですねで私あのま知ら ない方も多いと思いですけど元々はあのえ 満州国の金融という本を書いてですねあの 日経経済図書文化書をもらって若い時に ですねそれでえまそそんなことがあったり なんかしたので東大教授になったりとか もう元ですけれどももはやあこっちだ もはや元ですけど もことがあったので満州の研究者だったん ですねだからであのクラッシック音楽も ファンだったのでえその満州の研究者で あったりした関係でですねあのこのえ小沢 政治が満州出身であるってこと結構気に なっているっていうかね大事なことだと 思っていますで小沢生さんのお父さんさん ですね小沢改作という人なんですねでこれ はですね実はあのちょっとした有名人です これコトバンクというやつに出てるんです よ小沢改作 え昭和期の式え司会指揮者小沢政治の父 ってて出てますねで明治31年に生まれて 昭和45年没年とで出身はですねあの山梨 の山奥区の高田村ってとこだそうでしてえ 鹿の学校に稼いだから金を稼ぐたバヨに 引きってなんでバオに引けたんでしょうね でその演歌市などをやり苦労して学校出て 23歳の時に満州へ23歳時だからえ98 で23を足すとですねえ31年かなえっと 31年かなでそのこれ満州事変のですね えっと直前なんだと思うんですよねで長春 で司会を開業し結婚で本業は大子に任せ 満州青年連盟の長部長の務めにボするっ いうこよくわかんないことにな多分多分 こっちが本業だったんですよねで司会の 格好で行くけど実際はこういうことして ねっていうことなんかあったのかもしれ ませ んでえっとでその満州事変っというのは ですねあのま場所はこれ長春に行ってるん ですけどもこれなんか世界歴史マップと やつなんですがあのこここう本店っていう ところでえ満州事編が起きたんですねで 満州編って1931年9月11日にですね え えあの満鉄の線路をえ関東軍が自分で爆破 しますで自分で爆破しといてえこれはその 超閣僚っていう人が引きいるそのこの地域 を支配していた軍閥というものがですねえ 戦争仕掛けてきたんだっていう風に 言い張ってであの攻め込むんですね

でで満鉄の満鉄ってのはこのこのハルピン てところから長というとこに下がっていく 細い線この線でこの線のですね鉄道守備隊 が関東軍なんですねでその関東軍がえっと その鉄道守備隊だからこの鉄道の細い周り にしないといけないでそっから飛び出して ですね攻め攻め込んでいくこれは満州事変 ですでそれでまあなんかいろんなあのその 超学僚はあの抵抗しないで国際的な支援を 集めようと思ってえ日本軍の戦わないで なるべく戦わないで引き上げてどんどん どんどん交代していったのにをいいことに ですねえ全部占領しちゃって満州国って 作ってしまったというのが満州事変です けれどもえっとこれをですねあのこの前に ねあの日本国内でえこの満州にいる青年が 各地に出かけていって日本国各地に出かけ ていって満州がやばいですとえ中国にやら れそうになってますとえなんとかしないと いけませんってこと言ってまるっていう 活動してたんですけどそれをやったのが この満州青年連盟なんですねでえ小沢さん はです小沢さんのお父さんはまそれを熱心 にやってたとであのこの満州人本を 引き起こしたのはですねえ石原幹二という あのま軍人それからですねその上司である え板垣清史郎っていうまこの2人がねあの まスーパースターだったわけですここに ですね板垣清史郎大佐石原幹二中佐って いうのが死亡者だったんですけど この聖治の生いと石原幹二の字をくっつけ たのが小沢政治っていう名前の由来なん ですねでまこの小沢会作さんはですねま 理想主義者でえまその満州建国運動の リーダーとして活躍したんだけども どんどんどんどん特にあの官僚がいっぱい 来てね騎士の武が大嫌いだだったらしい です騎士の武とかが来て官僚がいっぱい やってきてですね自分たちが一生懸命命を かけてやったのに全部月放題やってるっつ てもめちゃくちゃ怒ってですねえマシを 去って え帰国とこれ多北京に行回行ったんじゃ ないかな北京にも小沢さん暮らしたはず ですよ ねで昭和19年に帰国運が良かったですね あの戦争が終わる前に日本に帰ってきてで 戦後ミシ会社を始めたから失敗し司会に 戻り妖精を静かに送ったっていうまそう いう方なんですお父さん はであのこの満州帰りであるってのは結構 面白い現象でえ例えばですね小沢政治さん がえっと世界的に有名にしたというかねま 一緒に世界的に有名になった作曲会武光徹 さんていう人がい

ます世界的な作曲家ですねあのまなんて いうかね世界的なステータスから言うと オザ政治上かもしれませんそれね何で 比べるのかって言うとまあれなんですけど も組織者の中でねザー政治と同レベルの 指揮者何人いますかてとこ結構何人かいる んですよ で武光通るとで匹敵するのはねそっちの数 のが少ないかなっていうぐらい えっと少なくとも生きてる間はものすごい 大きないうのはでもやっぱり同角かな滅 通るとえ小沢誠治と共に手を携えてですね あのめちゃくちゃ有名になったんですけど この小沢誠治さんとはと同じですね滝トル もマンシの出身なんですよね面白いですね えで生まれたのはまあの東京の今後 こまごめなんだけども えなんであれマシいたんだろうなんか 生まれて1ヶ月で父の勤務先であるダレに 渡るっていうダレにはえ小学校に上がる まで6年間過ごしたっていうことですねだ 小沢政治のは長く中国にいたんだなで満州 帰りなんですよでこの2人がね息統合して え世界的にのし上がっていった背景はねバ 2人とも満州出身だったとことが結構 大きいと思い ますでもう1人え私にとってすごく大事な え満州出身者がいてそれはですねあの安倍 工房というですね小説家ですねこの人もえ この東大学部出て小説家だった医学だった かな東大の確か医学だと思いますけど えこれが安倍工房ですね東大の医学部です ね満州育ちなんですよで あのでこの人はですね病気で死んじゃった んでえノーベルシもらえなかったんで 代わりにあの大ケンザをもらったんです けど生きてたら大侍じゃなくて安倍子が もらってたのはまほぼ注目の一致する ところですねでま世界的にすごい翻訳され てよく読まれた小説家で日本のまそういう 草分けみたいな人だと思いますがであの この小沢政治と安倍工房とそれから武光徹 っていう3人はですねみんな満中の出身な んですね で私がですね中学生から高校生にかけてえ 安倍工房を大量に読みですねであの武光徹 をいっぱい聞いてま松村蔵って作曲の方が 好きだったんだけどま並ぶのが武光徹だっ たんですがで小沢政治のえレコードを聞く みたいな感じですねでなんか全然たこと 全く知らなかったんですがえ後にですね この3人とマシの出身だっていうことを 知ってですねあいやなんかそうかもしれ ないなっていう風に思ったんですよでどう いうことかって言うとまそれ安倍工房が

小説あのエか中に書いてるんですけどもえ 満州に子時代を育った育った人間っていう のはえっと戦後に日本に引き上げてきた わけですねま戦前にみんな引き上げてきて 助かってるんですけどこの方々 はで えっとでそうするとその大きくなった時に ね故郷がないんだともう故郷にはもう行け なくなってただからえっと でそれで日本にいるんだけど日本にい るっていうのがすごい居心地が悪かった のでなん か嫌な感じが するでなんとか逃げ出したいっていう風に なんとなく思ってたっていうようなことを 書いてましてでそれがですねこの3人が 世界的に有名なと大きな理由でないかなっ ていう風に思うわけですででそのでねあと もう1人あのげっていう方がおられます これは三新聞ですけども哲学者ですえっと 哲学者ですさすがに世界的に有名だったか どうかはわかんないんですけどもえ日本 代表する哲学者であったっていう風にこれ 書いてますねこのでこれはあの亡くなって 4人の人が対談する記事が読新聞出てると やっぱ有名な方だったんですよねでこの方 もですねあのマンシのご出身なんですよで 幸いにもです私はあの田 さん先先生と勝手に呼びたいしたいぐらい なんですがすごい影響受けたんでえまです ね一度あのお亡くなりなり前にお話の伺い に行ったことがあってえものすごい面白い すごい面白い人でしたね素晴らしい人でし たね何で1度しか目にかからなかったの 本当に残念に思ってるんですがであの いろんなこのツイート文を読むとえ小澤 誠治さんについてもみんなねあ本当 素晴らしい人でした作であのフラットで 明るくて誰に対してもニコニコしてていう 感じでねあのその感じがねその木田先生に よく似てますねなんかそういう空気がね あのいわゆる日本的でないあの日本親父感 がないっていう共通点があるな気がします でえででキげ先生の本っていうのは哲学の めっちゃ難しいハイデーカーとか メルロポンティとかねそういうめっちゃ 難しい哲学に関する本なんだけどもまお 読みいただくと分かるんですがすごく 分かりやすいですよ平明なんですでえで それでその哲学の専門家ってされる人たち は特に同世代とか上の人はね木の書いてる ことはいい加減だっつってなんかこの悪口 を言う人多かった ですでもっとなんかあの小難しく信淵に 語ってる本とかの方がいいっていう感じが

あったんですけども私が読んでもですね そういう本はさっぱり分からないんだけど 木田先生の本だけはですねあよくわか るっていうのがあってで不思議な感じが するけど小沢誠治さんの音楽もそういう 感じですよねえ感じですよねって言わ聞い ていただけると分かると思うんですが えっとベトベとかブラムスとかねえなん だったけストラビンスキーと何でもいいん ですけどもこの新円でえ複雑な深い クラシック音楽だと思っているものが小沢 誠治さんがえ振るとノリノリのでキラビア からねディズニーっぽいていう感じが私は してたんですけどもキラした アニメーション見てるような感じのねで それはだからすごいリズム感とその色彩感 っていう風に言うんですけども本当そんな 感じでその複雑で厄介な伝統にまみれたえ ヨーロッパ音楽がですねなんかキラキラし て楽しい音楽に行くだからこそですね浅い 感じもするっていうこれキ原に対するキ原 先生の著作に対する悪口とよく似ている面 があると思うんですよねそれはやっぱり そのマっていうフード満州国がに生まれ 生まれたり育ったりしてでそっから日本に 帰ってきてなんだこのじめじめした 鬱陶しいところはと思っていてであ帰ろう と思ってもうないのえ帰れないじゃん中国 もあの共産主義の国になっていけませんね てあら帰るとこねえわどうしようとか言っ て えでなんかあのと日本のそのじめじめした 空気とかもうクソだと思ってるっていう ようなところがです ねそれで自分で考えて自分でやろうとこう やったら楽しいじゃんこうやったら面白い じゃんこうやったらこうやったらワクワク するよねっていうなこに引きつけられてい くっていう感じがあったのかなという風に 思って ますででそこがですねあの彼らのですね 持ってたそのオリジナリティ明るさで安倍 工房の小説もそうなんですよね安倍工房の 小説ってめっちゃ怖い怖いし難しいとも 言えるんですけどもすごいおかしいんです よでであのそこがですねあのすごい オリジナリティだったなと思っていてあれ はやっぱり日本社会っていうものに対する ですねとかそういう権威とかに対する ものすごい件をで自分の方が自分の方が なんかあの自分の感じてる方が正しいんだ みたいな感覚がいわゆる日本育ちの人より もえ強かったっていう面があってねでこの 世代のこの満州育ちの人たちがですねあの ものすごい活躍した戦後日本がですねこう

ガーって伸びていってジャパンマネーが ですねこう湧き上がってる時にこうそれに 乗ってねえ活躍したっていうなことがあん のかなという風にも思ってますで私自身 からする とこのえ3人のま4人と言ってもいいです けどまこのあ安倍工房小沢政治滅盗るを ですね中高生で大量投与されて今の人格が 形成されたのかなって思ってるの ででで大澤政治の音楽ねえ私がですね すごい鮮明に覚えてるのはFMラジオで あの小沢先手さんね大フィルを振って ストラヴィンスキーの春の採点っっていう ですね曲を演奏したのを聞いたんですよね でまそれあのカトテエアチェックってつっ てラジカに録音したんですけど もでま中学3年生ぐらいだと思いますけど 高校1年かもしれないでもいずれせですね クラッシック音楽を私中学2年生ぐらい から聞き始めたばっかでえで中学3年だな あれはえその現代枠とか全然聞いてなかっ たわけですよでそれでその初めて聞いてね びっっくりしてなんだこれは音楽なの みたいなぐらいの衝撃を受けたんですけど もあれがもっとなんていうかねあのこう 正当的な演奏だったらえそんなに聞か なかったかもしれませんが何しろ小沢誠治 さんですかもうノリノリなんですよ ノリノリのノリノリででもすきらびやか そんなラジカで聞いてるからよくわかとは いえですねえものすごく面白かって特に 最後ねあの最後やってトゥルルルルて言っ てあれ感器なんかなあれいやクラリネット かなトゥルルルて言って1泊置いてバンっ て連想して終わるんですけどもその1泊ん とこでねていう小沢さんの声が入ってるん ですよで普通者がね音出しちゃダメなんだ だめなんだけどでそれであのあのま当然 そのテープ私も100回ぐらいは聞いたと 思うんですけどもっと聞いたかもしれませ ん最後の時はなんかむにゅむニュって伸び てきたぐらい聞いたんででそこでもね だんだんねその最後のそのを聞くために 聞いてたみたいなことになっ てでそのそのぐらいの多分もう本当にあで もあの映像とか見てもねこう汗まみれ汗が 飛び散りながら敷してるんですけども ラジオで汗のは見えないんだけどそのいう 声でそのどれだけ汗まみれでねすごい エネルギーで演奏してるかっていうのがえ ありありと伝わってくるような感じでで それ以来え現代王国聞くようになってです ねそれでタトルも聞くようになってでそれ で同時期に安倍工房を大量に読んでですね で今のに今のような人格になってしまった

ということでえあの竹通のですねじゃ安倍 工房沢成治による大フィルトの春の採点の 演奏が私の人生に与えた影響ってのは かなり大きいかなという風に思っていて えまそういう意味でもねあの私にとっても 非常に影響の大きなそれであのだからね 多分満州の研究し始めちゃったのはこの3 人の影響があったのかなっていう風にも 思ってますでえま4人北元先生の大学12 年生の時に北田元先生の本いっぱい読んで えすごい影響を受けたんですけども研究 マシの研究始めたのはね256だったから 6歳かなうんこの4人の影響で知らない間 にマンションに引きつけられていったのか なとこう思っていますまそういうことも あってですねま普通の小澤政治さんに 対する追悼とはですね全然違う内容では ありますが え本当にでもああいう人がですね結局あの 日本からあ日本のですねクラッシック音楽 からその世界的な指揮者あのあれだけ成功 収めれた指揮者結局出なかったんです沢 政治1人でしたでまた残念だけどもまそれ 時代というものがねマッチしないと成功 っていうのはありませんからしょうがない とは言えるんですがえなんかねあの時代に ファッションデザイナーとかさあもう続々 日本から現れたんだけどでこれから日本が すごいことになるぞっていう風に世界中の 人が思ったんだけどその後全然すごくなら なかったっていうのがねえ大変残念では ありますなんとかこれからもう1度ですね 日本が世界のですねえこう文化的な学術的 なそういうところでですね大活躍する人を 続々廃止するっていう風になる方法がある と私は信じてますけどそれはつまり子供を 守るということですえそれがあればですね 滝水さんのような人え安倍工房のような人 小沢政治のような人がですね続々あられる ようなことになるなとなってほしいなとも 思うんですねでまえっとこの本はですね あの経済の船で えっと実はそれとま無関係でないと思って おりましてあのこの本の中に込められて いるえ積書経済システムみたいなね積書 資本主義システムとかこの無縁とかいう 概念がありましてですねまその積書っての はうコミュニケーションのこの結節点を 抑えてねそれでそこそこで通行料を取ると いうまテレビとかさ新聞とかもそうだし 例えばあのトヨタ自動車みたいな大きな 組立自動所組立て工場もね部品がこうなっ てきてどっかに集まってみんなになるて ここ積書になるわけですよそこだけ利益が 出まくるみたいなそういう構造があるん

ですでこの積書がねあちこちにあると うざいんですよみんな持ってかれるしねで 積書で働いてる人たってのは実は関森なの になんかあの意味のあることしてる不 いわゆるそのブルシットジョブっていう話 がありますけどもあれの私はですね正体は このセシシステムにあると思ってます がで小沢政治とかが蹴飛ばしたのはこの セシなんですよねでまそのオーケストラで 言と積書の代表がN教だったわけですけど もそこ蹴飛ばして海外に出ていって大成功 を収めたということもありまえ小沢政治が 蹴っ飛ばしたのが何だったのかなそして それとですねその豊かにしたかったのは何 だったのかっていう言葉をですねえこの本 を読んでいただければお分かりいただける のではないかと思っていますえこれはあの NTT出版書てたんですけど絶版になって いて1月満さで復活しておりまして私と 清水さんで解説動画中時間をつけて 1000円で販売しております買い方は こちらに出てますえ小沢政治さんを忍び ながらですね小沢誠治さんの音楽聞き ながら読んでくれるとありがたいかなと 思っておりますじゃどうもありがとう ございまし た

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安富歩さんは京都大学経済学部卒業後、株式会社住友銀行に勤務し、バブルを発生させる仕事に従事していました。しかし、そこで優秀なはずの人々が異常な活動に命がけで没頭する状況に耐えられず二年半で退社し、京都大学大学院経済学研究科修士課程に進学し、修士号取得後に京都大学人文科学研究所助手。その後、ロンドン大学の森嶋通夫教授の招きで、同大学の政治経済学校(LSE)のサントリー=トヨタ経済学・関係分野研究所(STICARD)の滞在研究員となる。1997年に博士号を取得し、学位論文『「満洲国」の金融』(創文社)で第四十回日本経済新聞経済図書文化賞を受賞。名古屋大学情報文化学部助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授、情報学環/学際情報学府助教授を経て、東京大学東洋文化研究所教授という経歴と肩書きを持たれています。

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一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験し投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学で講演多数。読書を経営に活かし自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。読書を通じて色々な可能性をみんなに伝えていきたくてこのチャンネルを運営中。

動画千日投稿行挑戦中。うつ病で本調子ではありませんがなんとか生きています。見てくれてる皆さんいつもありがとうございます。一月万冊は1ヶ月1万冊読めたらいいな!の意味です。元気な時は1,500冊以上、今は300冊くらいです。元気になりたいな・・・

2018年にとても悲しいことがありうつ病に。2年近い闘病を経てその期間はYouTubeもかなり休みがちになりました。最近ようやく少し元気になり、YouTubeなどの活動も再開しています。

35 Comments

  1. 配信ありがとうございます😀
    巨悪を倒す小さなイイネ運動実行‼
    小澤征爾さんの訃報に驚きました。またしても偉大な方がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
    不謹慎かもしれませんが、安冨さん、いやに綺麗!やはり黒のお召し物は似合いますね。

  2. 「満洲帰り」というキーワードは成田空港問題にも関連してきます。こちらは日本政府の戦後処理の失敗ですが。

  3. 日本人で世界的に活躍した音楽家トップ2って 小澤征爾さんと坂本龍一さんでしょうか?

  4. 当時20代だった娘がJR.車内でたまたま小澤征爾さんの隣に座りました。「山梨の帰りです。」と、通りすがりの娘の質問にも気さくに答えてくださったそうです❤

  5. 大好きな方でした。自由人で、おそばが大好きな素敵な日本人でした。ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございます。

  6. 配信ありがとうございます。満州で日本人以外の多くの民族に触れながら育った経験が小澤征爾らを生み出したと思います。

  7. お話ありがとうございました。
    小澤征爾氏の、『ボレロ』を聴いて、びっくりした記憶があります。ヨーロッパの指揮者とは全く違う、木の音のような木管楽器の音色。あの軽やかさは忘れません。
    とても面白く聞かせて頂きました。

  8. 稀有な存在の方でした。お話に武満さんのことが出てきて、昔に教科書に載っていた「わたしの紙ピアノ」を思い出しました。今日は武満さんの音楽を聴きながら小澤さんを偲びたいです。お話ありがとうございました。

  9. 安富先生、今回の配信、感動で涙しています。
    音楽、ダンス、文学、全て大好きで68歳からダンス指導者になった元地方公務員女子です。
    小澤征爾さんの追悼番組を見るだに、その自由さ懐の深さ人間としての優しさに心を打たれます。
    武満徹、安部公房の3人が満州出身という事実が大変興味深く、このところの一月万冊の配信の中で、私はダントツに感銘しました。
    三方の父親の意志が多分日本独特の狭量さや権威主義がはびこる場所からの脱出を計ったのだろうと想像します。
    感性においては父親のDNAが遺伝する確率が高いと言われてますね。
    とにかく、小澤、武満さんの音楽を聴き、安部公房を読みたいと思いました。
    安富さん、ありがとうございました。

  10. 安冨さんの今回のお話し、小澤征爾さんの追悼だけでなく、安冨さんが影響を受けた満州出身の方々のお話から満州の研究に導かれたような素敵なご縁のようで、
    勉強にもなり、とても中身のある講義を聞いた学生の気分になりました😅
    ありがとうございます❤

  11. 先生のお話を聞いて小澤征爾、武満徹、安部公房の理解が進みました。ありがとうございます。

  12. 小澤征爾の演奏には深い感動がないという批判を聞いたことがありますが、その原因の
    一端がが満州生まれという説に納得しました。これから小澤さんを聴くときのガイドになります。

  13. 小澤さんの指揮は、オケが乗ってました。昔、札響で見ました。小生も一応アマオケ団員です。武満さん、安部さん、木田元先生とも、確かに同じ香りがしますね。日本人らしからぬ良さを。

  14. 小沢さんと武満さんは友人同士でしたね。小沢さんは武満さんに、凄く指揮し辛いので、もう少し早めの音楽にしてくれと苦情を呈していたようです。

  15. 私の10歳くらい年上の従兄で小澤征爾と同年で満州生まれで戦後に家族で帰国して7年前に亡くなりましたが発想が大きくて地震についての論文を共著で書きましたが地球は球形だと常にわかっているようでした。つまり球の表面に中心はない。

  16. 安冨先生,
    小澤征爾さんの追悼番組、ありがとうごぞいました。
    いろいろ一生をまとめてくださったので、よくわかりました。
    満州からの引き揚げの人々に優秀な人が多いの何となく感じていましたが、裏付けてくれました。

    ところで、安冨先生の事ではなく、一月万冊の全体についてですが、最近取り上げる出来事が、あまり面白くなくなってきました。
    安冨先生がスチール写真の頃から、ここばかり見ていましたが、最近、一応開けるものの
    「松本事件」が多すぎて(これは、反吐が出るほど嫌いなので)
    あまり見たくなくなりました。
    もっともっと話題を広げて、面白い話題を取り上げてください。
    期待して待っています。

  17. 安部公房の作品大好きです。思いがけず小澤征爾氏と共通点があったのですね…
    確かに私小説が中心だった日本の近代文学と、全く違う論理的で乾いた感じの作風だなと思っていました。
    今までクラシック音楽はほとんど聞いてこなかったのですが、安冨さんの解説を聞いて、小澤征爾氏の指揮にとても興味湧きました。興味深いお話ありがとうございます。

  18. いつもながら安富先生の着眼点の素晴らしさに感銘いたしました
    天才のきらめきは幼少期にあるんですね

  19. 私の両親も小澤征爾さんと同世代で、母は職業軍人の私の祖父と一緒に天津へ行って生活していた頃があったそうです。
    でも、このことは殆ど母は口にはせず、ときには、天津にいたころのことを、特に日本にいる中国人の前では話すなと私に口止めをしていました。
    母の記憶の中では、日本人の中には中国の人たちに物凄く酷いことをしていたという記憶もあり、天津にいたことを忘れたいほどだったように思っていました。
    小澤さんはどうなんでしょうね。どういう気持ちで中国と向き合ったんでしょうね。
    その時代を実際には知らなくて、ただ私が本などで読んで知っている知識からすると、狭い国土の日本の領土を広げたいばかりに、他人様の国にいって、自分の国を戦争まで起こして作ろうなんぞ、良くないことを日本もしたと、中国大陸については思っています。戦争はあの頃なかったと言いますが、紛争 事変と言葉を和らげているだけで、昭和天皇が戦争を酷く反対していたがために、そういう言葉を使っているだけで、まぎれもない戦争をしたというのが今の現在私が持っている知識の中で感じていて残念に思っていることです。

  20. 安冨先生がおっしゃる通り、NHK交響楽団は若い小澤さんの演奏会をボイコットしました。
    出る杭を打つ文化は当時から変わっていません。

  21. 安富先生いつも知識を広めて頂きありがとうございます。「いくつになっても勉強」と言っていた母の言葉を思い出します。「(A級戦犯の)岸信介」が大嫌いで満州から帰らなければ「世界の小沢誕生」はなかったかもです。岸の娘で安倍のゴットマザーが亡くなりましたが「もし・・・安倍は生まれず悪夢もなかった」と思ってしまいました。

  22. 小澤さんの指揮する「運命」を初めて聴いた時、地の底から響いてまるで地鳴りのようだと感じました。
    クラシックには明るくありませんが、指揮者によってこうも音が違うのだと体感したのが小澤さんの指揮でした。

  23. わたしの父と兄は祖父と共に「引揚者」でした(本籍地は日本本土)。
    引揚者は、日本国内で辛酸をなめたように思います。

  24. 歩先生、大変心のこもったお話をありがとうございました。学はありませんが興味深いお話でした。これからでも小沢さん指揮の交響曲を拝聴させて頂きたいと思います❤

  25. 満州という切り口で小澤の音楽家の特色を語るのは首をかしげます、数えきれないほど彼の音楽会、録音を聴きましたが、生命力溢れるリズム、スケール大きな音楽、透明な響き深い情感に打たれたもの、オーケストラメンバーに演奏を(カラヤンのように)室内楽のように求めながら素晴らしくスケールの大きな音楽を産み出しマジックでした、大好きなミュンシュを音楽会で見たとき小澤そっくりと思いましたが、実は小澤が師匠のミュンシュそっくりだったのでした、

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