Search for:
Announcer 女子アナ美人

2024.2.2 福島第一原発事故被害地から未来への伝言 小林正幸・元南相馬市会議員 市役所に泊まり込み 自衛隊も撤退し死を覚悟 「お前ら兄弟仲良くな」と長男に遺言の電話をかけた



2024.2.2 福島第一原発事故被害地から未来への伝言 小林正幸・元南相馬市会議員 市役所に泊まり込み 自衛隊も撤退し死を覚悟 「お前ら兄弟仲良くな」と長男に遺言の電話をかけた

OG あ T T ああああああああ あ あ あ お邪魔し ます失礼しますどうも恐縮ですえっと皆 さんこんにちは今日はですねえっと 2023年10月2日え月曜日であります え今日はですね福島県南総ま小高区のえ 小林幸さんですねお尋ねしております よろしくお願いしますどうもお時間 ありがとうございますそれでですねね早速 なんですけれどもあの小林さんのですね あの3月11日の地震があの来た時ですね まえっと午後2時46分ですかねえ地震が 来た時にまどこで何をしておられたのかと いう大変月並みな質問なんですけれどそれ から始めたいと思うんですけどましはい えっとね私はちょうどその頃あの司会議 やっておりましてあそうなんですかそれで 議会が中段いたしましねま一一般質問だっ たんですけどあそうなんですかでまま中ち いうことでえっと私はもこう互に戻ってき ましたそしてそしてすぐですねあのまちょ 毛のトラックま着替してね毛のトラックま 津波くるちゅうことありましたからすぐ浜 のには行ったんですよね浜の方にという こと海の方に海の方に行ったちいうのかな ま私はあのこうまそんなに大きい津波に 来ると思いまですせねそでま行き場隣の ブラクが塚ブラいうとこんですけどそこで も何人かと行あってはいはいそしてあと 色々話したらあの 小田川沿いね浜海道ってあってそこに端 かかってますそこに何かこうう500m ぐらい先にストイの見つけましてそこに 行ったんですよけトラックでねあでまみな そそこの地震で発信の距離と殺でいけなく てま車こっちで飛びてたのかなはいはい はいにいていや写ちったよなちゅうことで その時あのはいはいまちょっとしてね津波 がねこう大っていうんですかあの先川を 登ってくるんですよねああ防波があります から大川はきたねそしてま堤防から溢れる ぐらいの波であのゴミがいっぱいげ先に なってきますよねはいはいはいはいそれを ま海の見てたそれを見つけたちゅうのがね あ津たそれ海の方に見たら松林のが ちょっとこう色変わってたちうのかねへえ あそてよくあれなんだってこう見たらあの 波なんですよ松ノ木の上が松ノ木要するに

あれですよね海の暴風林というか風のその 上に波が来て波が見えたちうことでうし そしてそれやや逃げろってこみんなね そして早い人たちは小田がの堤防って車に 逃げたですよねあ堤防沿に逃げるですねで 私は伊葉後ろに痛むんですからおちドなと あのえっと津波来ますからねあのえいこと です海から100mぐらいのこの街道です からですぐあの堤防道路に堤防の北側に 降りたんですよねうんうんそん時まうらの こう行の中のあのトラクターであの退避 ちゅうのかねうんうんま追したち田部にね あのあの高温のためにねはいはいはいはい はいそこに手元の人が2人いてそれがうら の行政のあ先輩後輩2人がいて行政という ことはこちらのここの大いのねあ多いのね はいはいそこにあじゃあ津波来たからって いうことでまその人はこう道路のこうより 低いとこに痛むんですから津波見えなかっ たんだねああそんな差であうんあの橋の テブの次ですかテブこう橋がぐっと上がっ てますよねはいはいはいはいそんなあれで そこにいやつしたから逃げろて言いまして ですねおほほそしてその1人の人があの トラクターに乗ってる人たちにはいあの押 にったちゅうのがねああやめなつみちゃ やめなっちいうことでねああそしてまそれ の人こう手元ていた人のま私の先輩です けどもその人にいやこの車に乗せていく からあ早く乗れってここかいたんですけど もねあああそうか大井の隣が塚原っていう のは海岸沿なんですねうん海岸のあ今ちみ て若いますはいなるほどねそこに行ったら あのその私の先輩先輩ってもうはいくら なっていたええええええいや自車自車ある からいいっていうような話になっちゃって え飲びるとうんそれでその人ま早くのや ちゃでちゃかいえからていうことでまそれ そこでね56分いたのかなそれででも知ら ん浜海道走っていた人たちが私の場 どんどんどんどん西にみんな車で行っ ちゃうわけですちゃだから皆さんそれは浜 から避難していかそう浜にいたな私この 先輩の人が乗るまではあのら動けなくて 乗るまでそち乗ってようやく乗った時あの トラクターで仕事してた人たはまたあの こっちに向かってきたんですけどもあ作業 中だったかさ戻ってきたそれでもね車で なで30m以上ありましたねあの向かって 来る時の距離があああだからそうしてね あのちょっと北側見た時その浜海道が私の 色次その浜のはあの川口の箱帰ってき ちゃったのつが 帰ってきたと引いたこといや引いてじゃ なくてカかてこしちゃったつみだああああ

うんうんこっちにも道路超えちゃった超え ちゃったうのかなるほどねそこにいたもん ですからいやこれは我々もダメなるちう ことであらららこうやって今度ね避難した 人誰も車飛んなくなっちゃったねああだ からいやまそれで私はその時スタートてた んですけどもうんうんうんやっぱりその下 おいてきちゃったちゅうのかな なんかま私も待ってで助けるちうことは 無理だったなちゅうことでそしてま西に 避難してようやくこう助かったちゅうのか な西に行かれたんですうんこう田が街の方 にこうへらしましたはいはいそれでえ 助かったちうのかなほその時あれだった ですか小林さんと並ってどれぐらいの距離 だったと思いますあ私ね一番後ろでしたの で最後だったそれでもあのなんぼあの北私 あの西に曲がってますからえこれで津波は あのこの北側は私より綱が先になって えいったのこうこううらは私らとか遅い分 だったからはいはいはい津波はもうこう逆 に先ちゃこうこういう感じなつああそうか こうなん前を回り込んでくような感じな ですねそうす走ってるもう北側は私るさ なってつみがこうあそうによってそういう 風に先に津波が入っているところもあれば そのいや遅く到達たこと私とこにあのこう 包丁林がいっぱいあってそこだったから 来るの遅かったのただあの先違うとあのな カちいうこう川口じゃないね小田川の川口 ですからそこはあの何もないから早かった んだなはいああ物ないからああの太田川の 辺ですね多分うんそうそうそうそう川たね はいはいはいはいはいはいはいはいはい はいわかりますわかりますうんそんなれで まそしてまあのこううちなかね波かぶるの うんうん津波かぶるの寝れて走ってたちう のかな横横か横なっちのかな右まつこう やって運転してると右側お津波がその横 ちょっと横向けと津波が右で走ってた 要するに家をこう飲み込んでくの見わけ そうそういてずっととこはそんな状態でま 真っ黒いのがこう行くつうのかな本まテよ で真っ黒いや真っ黒な車ですねうんはそう いうのがいってま途中追いつかれかと思っ て出ないてあの堤防にうん車が降りで上に 上がろうかと思ってほ思ったけど結果的に は世界がねあの登なくてあのま西立っちう のかなさの話ですとね代のの車繋がって みんなわーっと逃げてくわですよねだ前の 車が早く走ってくれてよかったですよね それはうんもねえそんなでもないんだ そんないや追い越せでいけないんですよね はいはいはいはいはいあそうか堤防の上だ もねあの堤防あの下の道路なんですけど

濃度なんですけどもはいはい追い越せでき ないよなはあ狭いからうんうんうん狭いつ でもねこうメぐらいあるんですけど濃度て 割れわ草入れてそうですねあの結構真中 ばかり走ってるんですからはいはいはいで ま 抜てできない恵なあチームにちうのが ねなしてんなんて いうあの本当に月並みで愚問なんですけど その時やっぱ怖かったですかいや怖いって いうのはいやこれやられんのかなっていう 思いつうのがま怖いとかそういう気持ちで だっけなああまあのいじまいじめられる みたいな 感じ大丈夫かなっていうよないやそういう 感じだったかなつまりその案外いやもう俺 は死ぬかもしれないみたいな感じじゃなく てうんそれってま握れしかないっちいうな ああなんとか逃げようっていう感じなねな んでも初めてのことだからうんこういう あれが思いつきちあまりこうムムやってる 感じなんだなムガムチになりますもんそう そんなこと人生でないもんねそうそうそれ でこうあのま互街に逃たちゅうのがね入っ てきて助かったっちいうことでうんだから いうあのお互に入る列長ありますよねはい はいはいはいはいあこに上がった時うんふ していや助かったなっつったもんあそう ですかお互いにお互いにあいや助かったな 助かったなと思われたうんそうと思った もんな2でねあの結局ですね津波は国道6 号も超えちゃってあの常磐線の線路も超え ちゃってあこで止まったちうのかあそこで 止まってなんかその向こう側のあの大 あたり大エトとかですねツラドラグがある じゃないですかあドーっとなれで止まって ますよねそうそうあそこもねあの結構あの ダエの中に車入ったりはいはいうんあと あそこでスタンドで店員の方店員が なくなったりあそうましたけどガソリン スタンドスタンド店員さんがうんやっぱり あの女の子だったらツやってたからあの やっぱりあのなんちゅうのちんこトレに 戻ったんだってなああ真面目な人だねそれ はうんうんうんちんこ取り戻ったために うんま車には乗ったのかな戻ってやられて あのカさの北側のあのうん堤防の南かの 田んぼの中にやっぱり車って法定なくなっ てたつったそ車の中にほら怒られたつって たかわいそうにね真面目な人なんだなそ やっぱりそういう自分の職場でね責任的な ものあるそれはその人は進行とかねそう そういう思いあったべからなそうそういう 人多いんですよねあの郵便局で最後までい 残った人とかねうんそうもなくなってたっ

てあとからね言った見つけたってあそので 見つけたみなうあじゃあまだ早く見つかっ たうんだからままある程度こう元さでまあ こでドロドロていうとこ入ってきたでして た探した人もいだったからねああそうです かじゃあ当時はあれだったんですね あの司会議員やってられたんですそ南相馬 の司会その時何期目ぐらいだったんです私 はね何期っていうと中あのオタのあの小高 町時えっとま平成11年だっけかそ時え あの越せあれであ併前ってことです併前で 日やったんですよ あそうですかそうですそして合併初年だけ 合併ねはいはいそれ合併してまあの南そま 1ってなるんだっけはいはいはいはい そしてその後選挙2回やりましたからあ ならなんでそまとして3期なるんだっけね ああなるほどねうんまあのカピした時 みんな一世なんだっけね建速あうんだから 3チだったんですよあそうですかあじゃあ それでちょうどあの小高のNH町長と2重 うん一緒でず同じ制だったもんですからね 同じ制多いですのであそうかそうかそそう かNさんも多いだねうんそうそうあじゃあ あれ本当にあのずっとごご一緒だったそう そうそのあれで一緒になってやってました からだからまそういうことであの3月議会 やってられたんですよ3月議会ちょうど その日やってられその時あの一般質問あの 滝のキチがやっててその時だったんです けどでグラグラグラと来たんでそうそうで もう今日はあの閉みたいな感じ感そう閉 ちゅうことでうんあん時すごますぐうに 戻ってきたかねうんうでもどっか日かなと 思って1番心配しとやってたんですけどま くとかね河やられたしてだったからまその ぐらいったなと思ってああのこれもすごい あの愚かな質問で恐縮なんですけどじゃあ ちょっと海に様子見に行くかっていう風に ねま皆さんその海のまうんてるのにと海の 方向に行くんだろうっていうのはすごく 不思議なんですけどうんこうなんちう だろう ヤではですけどやっぱりがくちうといくっ ちゅうのかなそれ人間の心理ですよねそね 私ねあの小学校3年か4年かなあのチ写 ってありましたよねはいはいはいはいあ時 やっぱり津波してはいはいはいはいそん時 あの防波堤ののい のあこタプタプたんですよあチ自身もご覧 になったちゃんですあのだれボって前のボ 6.5mありましたからあ6.5の津波は 来てそこが超えなかったのね6.5若は 登りましたけどそれあの見で見てから やっぱり子供とけええいやあのぐらいか

なっていう感じでそうかそういう経験が あるうんうんうんまあれぼてでこいたち いうのは見てないから小さんはちなみに何 年のれですか23年23年1948年です よねち自身多分1960年かそんなもん ですよねねだから中途ちょうど小学校6年 生と中学生ぐらい本当にねあごからだけた あのみんな防波にここにタプタプ来んだよ そこにみんなズラーっと並んで塗った ああみんな見に行ったんだそれあと1m 高かったらまずいですそうそうそうそう いやそんなもんだったあだから要するに すごいですねチリからあの太平を超えて 24時間かけて津波がやってくるわけです からねすごいですよねそういうの見てから ただあの来たと来ていっぱいこうつ来て来 てこうジっと来た時でないからうんうん まあいっぱいタプタプ着て時見た先だった からなんか捕物だとあの津波車に200m ぐらいメシーたって言ってますぱりへえだ からそういう意味でははあの経験値がある からま今回もあんなもんかなという風に 思いますよねうんあだ塚原にまあの帰って きて塚原に行った時うんやっぱりあの塚原 の人は先輩たちはねあの津波家庭ってある んだってね津波家庭津波家庭ってほうほう ほう俺も初めて聞たんですけどもあの津波 来る時てええええこうやっぱり温度上がっ てくからだがなんだかあの寒い風で吹くん だってな はあ津波カとかこうあ津波風つまりあれ ですね1回引いてもう1回こうあれですね 波が来る時の風ですねやっぱり海面がこう なんてゅうのかな温度下がるのかなあつみ 壁そりそうですよねだってそれまで海だっ たところが火て海底が見えるからその部分 は地面になるわけうんうんうんそうそう そううんそうだ地面の方が比熱が高いえ 低いまわかんないだからそうなりますよね つと一緒に こう風吹くのかななんだかしら津風から津 食ったってこうやった人いるですすごい 現象です ねままさかねそんな来るとは思わなかった からねだから今回あれですよねあ計測して みるとだからその小田駅まで来たわけだ から海岸線から2kmとかう1釣っとかな ね入ってるわけですよねだから今ではあの 国道6号走るとここまで津波が来ました 結構ねあのうんやっぱりここ登っていくと あの6号線通子になったからってあのと こう渋滞したのそれで長にあのこうなんで 渋滞してか分かんなくてはいはいはいはい あのよ横水に入った大型トラックあるんだ なああ

近水園がなくなっちゃってうんもうこっ ちゃて通してもらそうですよねこの辺の道 だったらそんな大型トラック来てもらっ たら詰まっちゃいますよねそういうの結構 あの車あったりうんあとは結構車もね流さ れたの結構ありましたからあですからその まその日でもですねえ大高のその駅まで その津波が来たとえそんな状態だったです けどあの小さんのお家は無事だったわけ ですはこうこの高台ですので高台で助かっ たとうんうんうんそうそうだからうちの 監督たちはあのうんただ前この前ちょっと た破てしたんではい津波着て るっちゅうのはわかんなかったおた聞こ だってこおてこのやっぱりうが足りたり そういうのがあのこのこの前下の田んぼ 流れてるわけねなるほどねなるほどねそこ の音うちの女房読みたもうんいや音はたこ ていうほたであのこう津波はみ出ないだな やっぱりだからあれですよねあの大飯地区 っていうのはそのま言ってみば国道6号と 海岸部の真ん中にある中にあるわけだから あれですよねあの津波はここを通ってる わけなんですよねだけど栽培高台だった からあの一は無事で周りがあれですね音 だけ聞こえたことですね右以外だねただ この下のう2件あるんですけど3件そこの 下地はこのやっぱりうんこっちの3人と 2人でこうここのなんだこの片ぶっちうの かなこうここ上がってきたって言ってまし たからうんあそうです下のうの下はねえ あありやぶとやぶ上がってきた逃げてきた 逃げてきたてこう上がってずで下から 10mぐらい高いですからそこあああの こんな状態でねこ高台ですよね言ってまし ただけどあれですね本当にそのそういう 意味では本当に僅差というかねうんそう ですわずかの差で助かったのうちみんな あの津波やられましたからあそうですか1 回部分はつまり同じ地区なのにってこと ですかそうは泥よこう3mぐらい上がって いるんですけどもそこのうでやられてます 1回もああナタちてますからねつまり1回 部分だけさわれてったてことですねうん こうまうちはあの流れなかったけどもう うちの中やられたちゅうのかなああうん あれ一番ねあのなんちゅうのかな こうこの湯の松の血とか色々そういうの ものにガラス建物ガラス割れで入ってくる んだな流れてくるんですよねとかねそう いうでやられちゃんだなそうああ要すに こういう風にこう街とかがこういう風に 流れてきて要するに家が立ってるのを バリバリバリバリて壊してくわけですよね そうそううんうんうん水ちょっと動かない

とこう角材とかね丸とかそういうの流れ できてそういうのでやられちゃそう水その ものよりその水によって流れてくるものが 怖いんですよねなるほど なああのそうかそれで あの当日はどどうだったんですかその後は どうされたんですかその後はねま私もこう ここに軽のトラックで戻ってくるまでここ 時間かかったんですよねあやっぱりかかる んですかうんそして やっぱりに車て下に降れていったらええ やっぱり下てなかもねもうあの水なくなっ ちゃってあそうなんですかあの引いては 引いたんですけども下の水林ですからね水 できあそうかそうかそうそしてもう車から 色々そっちこっちドロドロてやってつまり 要するにもう水に水その海水が入っちゃ 効かないんだうんあの沼みたいな感じに ビダかな黒い黒いドロドロ うわで行って下のうちでもこれうちの お母ちゃんいないとかなんだとかってさい たら騒いたりうんあらしててでもあの隣に あの車の中にこう生きてたちゅうのかね あのお母ちゃんがうんあのお母さんと娘 さんが下のうち の こうなんだかく来た時ねあの車に乗って 逃げようとしたんだねま普通人間そう考え ますようんそ時時あとこう車で一緒にこう 波に乗って隣のうに行ったて隣のうに行っ たあのエトロのブロコベ超てたっつった もんブロコベこえちゃったへえそんなこと があるんだこいで名と一緒こて行ったです よ名さ乗ったちゃのかなあなんか サーフィンみたいなこと言ってけますけど それ怖い話ですねこれで隣のうに屋敷に 入ってうんあのこうもそっちに上がり持っ ていかれなかったかったつまそこで止まっ た止まったこでそこがウででてこう落ち たつのかな良かったですねうん車ねあの誰 も乗ってない車も56台ありましたから 流れてきた車あそうそこに時代あったんこ て寝つけであそこ要するに家にそこにあれ なんだ塩というか流れが集まってきたうん うんそうそうそこにその下のうのカゴも そこにいてこう塩が引きで落ちたちうのか なあああれこう水のに持てかて海まで言わ れにそこで波が来てそこで引っかかって 止まってで波自体は引いてったてこと引て ま引く時ねモテがれたのが結構いると思い ますからねああそしてそでまそん時番先 あのなんちゅうのかなこう先のあの出しの トラクターの代残ってたやつはいで トラクターはどこに行ったんだろうて見て ましたよトラクターてあ置いてきた人です

ねあ置いてきた人たねうんたらなくてあ どこ行ったんだろうって言ってだって ちょうどあれですよねさあの仕事中だもん ねそうそうだからそれでと全然見えなくて そして 夕方あのまうちのあの蒲田さんと蒲田さん は塚原の人だったから宇の京から長山さん ちゅ方がはいあのうなもですからあのそこ に方行ったのなうんうん暗くなるわうんほ であの奥さんいからしであれ長山高さんっ て言うんですからあれ高さん帰ってきたつ 帰ってこねて言っていやて言ってほして もう夜になっちゃからほして11時頃まだ 行ったの夜うん帰ってしたのつったら帰っ てこねっちうわけなああうんほれで次の朝 まだ朝早くこてィた見えないならどこも 行ってこじゃ朝も行ったんだまだ探しに うんか危で帰ってきたああ帰ってきたっ 帰ってこないて結果的になくなってうし トラクターの中であのなくなってですか たちかいそうにねだからあのこっち堤防の 下側にいたんですけどもやっぱりあの蒲田 さんとあトラクター2台だったんですけど あの伊代は小田川の川の中にあってそで もう伊代はあの川のもの村がちうとこに トラクターでそこであの最俺トラクター出 なてね出なかったから見つかったちゃああ そうかトラクターって言ってもそういう あれなんね運転席のあるでっかいや トラクターキャネットがあるんですねつい てからねだガラスも割れないでそん中 ちゃったなかった えだからそのちのうんとね家族に行き ちゃった時あのなくなってああとあの遺体 熱かった言ってね遺体ある時はあのその 馬農高校とあこだった相馬の相馬農業高校 あ農業高うだけどその体育感いすそこがご 安中になったんだこここ家族のいた時で いやいや申し訳なかったなて言いますよ私 本であ小さんおっしゃったのうん言いまし た本であのきらてなうん うん本当にきらった2人ねうんうんご家族 はなんかおっしゃってましたですかうん いやうんいやななんともしないもんな みたいな感じでうんうんいました言ても うんだ私もあれ待てたらやられたっちゅう のかなそうですよねうんだから本当にうち のどがねますかほんの少しのほんの多分 10秒30秒1分ぐらいの多分差であう うん差なんだよなうんただ最私はねこうな 助かったちうのい思ったのはあの1番整備 ここ田んぼね昔小さた一緒だったでしょそ で11年ぐらいだからだから何人だろ10 年12人ぐりかったなそ基盤整備したの はいそっかうんそして基盤整備してやって

昔は木のトラックやうんうんうんうん道 ですうんね西東に道路ねあそうですかへえ うんあのテボの下私逃た道路の中長かった のあの細も1番する前はなああだからこの 盤セブしてでだったから助かったんだなっ ていうああそうかこの辺結構あれですよね 田んぼ結構綺麗にちょっとあのになって ます今なってますけど前はなってなかった あそうなのだの警防の下の道路中逃して 道路なかったからそうか東西一直線に逃げ られたそうそうだ1番せであの道路その ものは5mぐらいえの道路になってました からああ良かったですねうんだや番セーブ してなかったらうん逃げられなかったもん なあと堤防だってあの行きなかったちた からま ままいんでたから行くのなうんうん手な 行った人もなんとかかとは言ったんだろう と思いますけどうんですよねでその時あの 小さんは多分まだ60いくつだったと思う んですよねうんそうだね60代だったね あのどうですこういうそのもう自分がこう しあのなんて言うんですかね九に一生得る みたいなね体験をされるとねやっぱり人生 感というかねあの変わったりでしなんで俺 はあの助かったのかみたいなこと考えたり されますうんだなまなんで助かったか ちゅうと本当にねこうまむむでだちうのも あからですもま中にはま運もあったんだか ちうのもあるしあとはなんちゅうのかな こう私もねこうなんうのこう生物とかと次 であ 生き物勝ってないんですけどまあは野良猫 いるけどまそういうま柄の話ねこといや そういうのもあったのかなど あだから私もねあの4 あの犬拾ってきた犬が大型トラクで光だっ たのなあら代わりに光だったのかなてうん あの拾った犬があ下のとろで大型としりだ のなかわいそうにね子供に好きでそういう もいやいや私の代わりでこなくなったのか なとかてそういうのもあったうんちょ4の 時なうんそういうのもあったし だらちだから もだ中に俺なんでそんなに海に行ったん だって言われるのもあるしうんうん金きれ ばそんな面で合わなかったちうのもあるし でもやっぱりあのこう私地域に基盤すだ 色々やってきたりこの地域のねこう何か こう作ったものあるでしょう炭水場とか 色々とかそういうのがやっぱりあのなん 言うのかな農業に対しの施設うんうんこう いうの大丈夫な鍋がっとこう何か見える ようなこあるんだなこの元々こう許すたっ ていうのね立って許すとてなるほどねなる

うんうんこのなこススとか年子とかなそう いうのうんなんかあの時々そういうその 九州に僕もまあまああの記者っていう商売 がねそのそういう風に周りでたくさんの人 がなくなってるのに生き残った人っていう な話聞くと時々聞くのはあうんあのなんか 俺ってなまだ生きてなんかしろって言われ てるのかなみたいなねあの気がしたとだ からまそのま頑張ってま要すにまみんな ほらあの亡くなった人の分も生きないか なっておっしゃるんですけどその自分も なんかその生き残ったのはその神様がお前 なんかまだやることがあるからお前は 生き残れみたいな話で選んだんだろうて いうそんな風には考えいやそういうのはね あの後から考えたの あドてねあの今度 ま今度な司会減やってで減も色々やってて して今度ずでも建築やってますからうんそ たら今度後のなるんですけどあのここう 会場なって戻るようになってきたわけね はいはいはいそん時あの新しく築する人は あハカでも何でもできるのなああ どんどんどん我もでは間に合わなくてハミ 入ったうんうんうんそなことリフォーム する人はやっぱり昔からいる職人の大の 職人になってあの弟から立ち上がった ちゅうのかなそういう人ないと割と難しい だねリフォームっちゅうのが番中して わかるわかるだって昔からのであるもんね うんそうそうそういうのもあるもんだから こいつ早く帰りたい人み者なんだな やっぱりそうでしょう ねホームする人いないんだなああ元の家で 住みたいねうん住みたいていう大も大体 なしてるしこちらは残っていたからそん時 いやあのやっぱりみんな高齢者高齢者はや リフォームして帰りたい帰りたいっていう あってそういうのもあってそしてらもあの 全然知らないお客さんや新しいお客さん からどんどん頼まれてこてこうホも入っ てったんですけどもそ時やっぱりああって ね全員もねあのいや金金だってこう20何 年でやってうんうん金もまた同じパターン なのなあのこ繰り返すなの時間よなそうね 3月6月9月12月繰り返した俺た仕事を こう色々やってたから俺でこんなのやっ てるよりあ俺仕事やってうんやってくれた こいいなって思ったんだな ああきはもうあのち息子も忙しかったし 息子も寒ないうんいやこれきなやってては できち私あの1番あのやってて1使って 時間なんだなああ時間をこう送り忘れだれ 送りだれとこうなかなか大なのなはいそう こういうのでこの時間だけほと気使って

なっちゃってああそうかイサになるとそう いううんそういうとこがねすごい大変なん だね大忘れだしと大変ですからこういうの てそれよりそうだねうちあのこれさみんな 戻たにリフォームしてきてやった方がその いいなと思ってあもういややるだけやった なっていうことでチムねあだからあれです よね結局4期務められたてことそうそうね うんまやってみんなその方はバだの弱でね ああリフォーム戻ってからうん結もやって やみましたからそれはちょっとあれですね 会議仕事は見えにくいもん ねだけどあのこれはちょっとあのあれです けどあのNHさんのあのネさんはそのま その震災の版ねあのまあ旧昔の町役ま今の その師匠ですね数飛んでってこれ大変な ことっちゃとでそのみんなで集まったって おっしゃってたんですけど林さんも やっぱりその司会議員だったらやっぱり そのそういうことになるわけですうんうん そうで私もあのその津の夜うんあのあれて ですかあのおのクエスチョン集まりました からあやっぱ市長市長に集まったんだ うんうんみんな集まって議員にねそして あと対策会議団てそしたらあの消防団長が ま名前あれなんですけども互の消防団長が ねいないんですよねいないあいなかったの ああほた何やってんだって俺無限に行った んだああはいはいそしたらつのいでガラス 片付けてんだっけ なそっかだ事は事だったんですよねつみて 全然知らないのなあそうだまこう放り出す と分かんないからああ山川の人とか全然 わかん ないなんなんなだって俺奢ってうんみんな 始まってなだて何やってんだ処方男が来 ないかららないよねそれね方男言言いなく てこしてせてきたら何やってつみしてたん 全然すらないだもああうんだから本当に そうかだから家の片付けをさするんだそう いう人は団長大知の自分のやてじゃなくて はまにからなる人そんなもんですよね そそう長ガ片付けしだっうんうんそっから のそのあれですかそのずっと小林さんの 仕事っていうのはどっちかというと やっぱりその役場なり師匠なりに詰める ことが多くてうんあのご自分の会社とかお 家のことよりそちらのうん私は会でしたの でうん早くま夜ここに止まったた結構い ましたからあそうこに塚原の帰れなくてい あもう家ないからはいはいはいそして夜 ここにこたと置いてくの初電気もなかった からあそうか初電池持ってきてま商売持っ てますからねそれであのカソリあたやって あのあのこれ夜明日の朝まで夜間ないち

ことでそしてあのなんちゅうのあのあの 時々飛びてあのあのこたしてあげたのな じゃあここがちょっとした避難所みたい だったんだうんそうそうそう南城なったり してそしてそしたら塚原の白田さんちゅう あのあの人も証拠会長を今やってるんです けどもうすあれいや小林さん弱んだって誰 だがそう白田さん小林さんだ弱るって言っ たどって言ったらうんそしたらちょっと夜 行くかと思ったのねうんうんうんうんそし たら山水通れなくてありそれはなんか道路 没したりしたいやあの風で見えなくて誰も 飛んないからないからうんそろしかえ なかったからこ気なくてあの戻ってきたん ですけど次のひがねちいたらやっぱりあの 怪我してでうんやっぱりあのこはなんだか 骨だんてなかもいしてえストパいたんだっ てそれ流されたんですかいや違う助かって も中心で気がしたのかななんか挟まれたか うんうん何かカチなれてきてやられたんだ てここで何かなくなった人いてそでなんか デのなんかここ出だってたあとそうていた んだ人が何か結構重いものに挟まれたんだ ねそれそんな人もいたりあああとはあの あれこのドル水飲んでなくなった人もいん だなうんああそうかそんなつぼはいる みたいだったなごめんなさいということは ちょっと聞きにくいことですけれども やっぱりそのご遺体の うんうんそうだそれでねあのう時は ちょっと行きなかったからその後聞いたん ですけどただうのこの近くではうんあの つみにやられてすぐ見つかったん夜あ 良かった車椅で乗ってたやられてはいその 辺にけた夜きました車乗ってそれりですか うそうそう私ぐらい落ちしてたけあそう あのねあの人はねあのデサから帰ってきて やられたあ帰ってきたとこでいやそれは 昨日どこだうんそしてあのやっぱりね車 椅子さん乗ったままあまなくなっていた ちうのかな川こあああそうかうんこの辺で デサービスたそうこの辺はねあのデ サービスたがあそこに行ってたんだかあの 梅の家ってたんだからね役所のはいはい はいはいうんそそう帰ってきたとこにつき たんだあだやっぱりあれですねあの公さん の話聞いていてもその花町の南創薬市役所 に行くよりまずやっぱ小高の地元の市役所 に行くうんうんやっぱりねあの合併してて もこの小高原町鹿島とえばやっぱりあるん ですよねまやっぱり俺自分の地元はどこ だって言われたら高だっていうことなり まし時や区役所に行ったり来たりしてこう 小田にここに来て色々あのなんていうあの しなしてる人いだからおしそんなやってい

たんですばうんあのいやあの実はね桜井 市長にもこの同じインタビューしたんです よでま公開したんですけれどもやっぱあね あの原町の人とは原町の人くし互の役所が 行きますよねうんでそしてそれであてです よねまあのその中でま行ったりしねあと次 の日明りがなったら私あのあの全然パック パックホ持ってるんだからあああの釣ね それで次の朝下降りてこの道路ざーっと こうあのこのこの道路ね下の道路あれ爆音 で電通柄ガチ柄何がのこう溶かしてってる うん溶かしていったのなつっとこうあれ ですわユンボみたいなユグで部でそんなに ちはないんで3Tぐらいのでこれででざっ と泥泥ちよりもま泥は壊れていなかった からただほに電通とかカいっぱいう要は 津波が運んできたものがど塞いでるわけ そうこれこう通気で運んでてほたその時 また様子あるんですよね通信はあこしまた 津波来たら大変なってこの仕事やめで高い どになっちゃちゃそうか余震があるとまだ 津波来るんじゃねえかつわと見えるんだ うんでまだずっと言ってそしておたら市 役所の人が来て あのコンてつとコあの僕もこれずしちゃっ たんだ夜なあのいけなくなってどっちもあ 要すにもうどこにも行けない周り周り水で 囲まれちゃったわけねそいてほして区その 人があのいやあのコツちゅうのかな腹まぶ なんですよこのさここ来るちうわけ うんうんうんうんそしてじゃっていうと俺 本気なて借て片付けでほで車でとどんだよ な ああじゃ避難民というかかになったんだね やっぱりみんなあれですね開いてる道路 開いてるところにみんな行くもんねそう そしてそね体も来たんだよなあらもあらも あらほれで自体も来てあのトラックに乗っ て自体12ぐ来たのかなカま俺大体片付け だったからそしたら今度ねあのなんとドの このぐらいウなトロトロちのあの泥に あれるのな要するにその海から来た泥ヘ みたいなですねの上走ってきて同じだた ツルツル滑ツルツルてはターってあの 前皿ですからそっか海海砂だから海ち泥は 本当に細いやね泥とあの雪の柱にどなって ツルツルする分かりますあのあれでしょ すごい粒子の細かい泥ですよねこホねあの えあのハハインドパンテあっからあれで ガーっと落されしてこれでジタもねもん時 ねこうこなスコップなんだなちて持って あるある普通の一般の携帯用のスコップダ したはいはいはいこんなるんでこんなああ ちっこいやつね要するにあれでしょあの あのバックパックにくっつくやつだよねこ

てこうやっていのなそれは大変だ買い ながらて俺つてったらこの点みんなでメデ だ俺やってったやだそうですね建設とかね あのハウスメーカーだったらそういう動画 なら私もねあのこっちからずっと行って 通るでしたのねで向こうの塚原からはあの 白田さんって増員屋さんいだらうんおおウ 屋さんウ屋さんも持ってきますからぱウ屋 さん持ってるねそれで向こうやったのああ ほでおいにこうここ取れるしたっちうのが ねああなるほどだからま続きあったからね ま燃料もまカいっぱいあたってたからこね 取れるまではついて行きましたからうん ああうんあのどうなんですかそれからね4 月22日になったらここがその警戒区域 っていうことで全員出ろって話になって でしょでその3月11日からね4月22日 までの間はどうしておられたんですか私は やぱあの毎日議会に行ってましたからま あた長ああそうかそうかはいあとかはまに あの前役所に私は1週間ぐらい止まって ましたからえ1週間1週間原町というか その南相馬の市役所にうんあのここにね1 市役所じゃない2日間だのねあの小高の クシで小高の役ねはいそしてねあの小高 工業ってあこにじなってありましありまし そこにウも行ったらちょうどあのうのソ号 がいいでねおじちゃん来たんてほて孫 初めて行っちゃったんですけどあそうです かそしたらあの今度家トイレ 並べなきゃわあそうかでずトイレ貸して くださいって言われたこいつでも俺商売 持ってますからあ現場のトイレです いわゆる移動式のやそう あの星でちょうど片ちゅうとこにあってほ 夜ですのであ私取りに行ったらほ馬力て るっちゅうながね2人でやっとける1人で けてきただ1人でけてき たじからそれできりしたのすごいこし持っ てってこ持ってきてこの水がないわけ ああ水入れなきゃだってあれ水入れないと 流れないもんねそうこそうしてこのじゃっ ていうことでそん普だったっけよなあの2 日あだよなこの夜でな次のうんそしたら 今度あのプールから組なそってなったのよ ああそうか学校だからプールがあるのうん そこでこスツポンプだだとかなんだとかよ だとかなんだとかって言ってね誰がね持っ てきちゃったのかな俺あるもんですうん俺 もあったんだけど俺持ってくないでこれで 用意したの何かしてるあの2日目だった から今度原発爆発たってなってあの夜こ 原町に行くことなったわけみんなはあ原町 に行ってこうこして原のどこに行けばいい んだって医が見えたとかそういうとこに行

るっちゅうなってねあ石神小学校とかて はいあ石神小学校ねはいはいはいだから とりあえず隣町に逃げようてことになって ですねつねそうすのをねうんうんそれで そこにいやみ格好わかんないからつってね あの我とあの小崎あの小崎葬 屋岡崎葬儀屋だな葬儀屋さんってあるん ですよね石神小学校のうんうんうん隣るで ねうんうんうんそこの葬屋とこだんて言う とみんなあとこなんてぎ屋には言って からそうなんですか小学校って言うとこに だけど孫屋ち言うとわかんだなへえたまに り早じゃ言ってくからはいあのあなるほど なるほどああそうか買ないしになるんです ね子供だ分かるでしょから小学はなるとこ 大は小学校ってわかんないなどこにあっか あってそうでしょうねなるほどね大崎葬屋 の隣だって言ったら泡がって言ったんです けどとこにあるんですけどだけどあの そんな感じでずっとねあのこ爆発したと 原町に避難するっていうと小田が空っぽに なっちゃうわけなんですかそうそうそれで おでもにふいて私は行ったり来たりして そしてあのあタの病院とうんあの海のの施 あそこから腹にしらしんのにうん私のあの 関わってなかったけど2日かかったんだな ああの次の次とねだけどあれでしょその またその原町のそういう小学あの学校施設 もねだそれこそあの南相馬原町の沿岸部 から避難してきた人とかあの鹿島とか いっぱいいるわけでしょすでに場所あり あったんですかい結構に腹だとね第1あの 65編のわに第 2こ中学校ですかなるほどなるほど学校ま 小学校ああ結構たあるんだ大小学校もあり ますとねああねはいはいはいあね原のさは あれ大賞学校ああ大賞もあるんだあと大田 ねうんうんそんなあれであの避難して互 結構あの山の方の石川一緒でしょそうか 山川にもあるん山のねあの36いうのあり ますねそうあに石神1中2中ってあるから あと中学ありますからみん行ったるあそう いうことなんだこしてえ日2日目の2日目 だからも遮断していくっちゅうことであの 主役所の職2人うんうんあのおいでじゃ みんなで行きましょうってこうこの時の 最後だったなああ2人職あれまだあの避難 車にで残ってるがくかわかんないから職員 よ夕方まであのいるようにっちなしていっ たからなるほどね結局そうやってこう腹 まちまでこう避難するでしょうんだんだん 避難区域というか広がっていってで最後は 要するに原町も奥内でしたけそうになっ ちゃうわけですよねいわゆるその30km ラの内側に入っちゃうわけでしょでそう

すると20km屋内待避しろって言われて も普通はそこまでのことを国がすると みんなこれは避難した方が良さそうだと いうのでうんうんうんそうやっぱり屋内で じっとしてるんじゃなくてみんなどっかに 逃げようとしますよね人的に行った人もお の人とりあえず あの石神原町に行けって言われ行った人と あははな個人的にもう行ったでそとかもう は行ったしも結構いくからなああだから そってあれですよあのだけど国道号線は もうあの津で相が親戚なて行ったんだなあ そういうところ頼って行かれたそうそう戚 に行った人は結構ただとこまそんなじゃで 一緒っていうことで言った人だねただあの 大いもねあの2日目だがうらもあのあれと ね磁界でもんだなああの要素剤っておで 持ってたの へえ町で用意してたんです要素剤用意して たの用意してたのはあじゃ子供にうんそれ をあのおのクソでじゃ要素材どうすんだっ ちゅうあっからくばっかってなったうん うんうんそしたらあの磁界そのそにもらに かに なけそんなそうにもらないと配ることでき ま責うのかなうんそしたら本当にね渡辺海 なが何か方ほしてあれ長とこに行ってこの 配るよねこうきしてもらうようにうんうん なったのかなうんうん来たらこのマダー ストットのあれがこの医者の説明用なんだ なああなんての初行線がいるって話うん そうそうそうそういうのがい るってなってこれまだ問題なってただだ 説明書あればいえみでな感じだったんだな ああこれコピしたんだったかなんだか わかんないけどで結局配ったかほして配っ てほしで小田のあれどこで持ってたのかな 病院で持ってたんだかなあのくそで広げで だ消防ださ何ぼかなこうブラクごで食える みたいなあそう何年とかってやってて そして私もあのプラグとあとなら上素材 持ってくからどこなんかとこってあっから とってこれで片さて隣の業績でも行って うんうんうんあの会場でね素剤あハギね ハっておだっていうとこなんですね ちっちゃのしうんうんうんうんうんで要素 台じゃあの持ってくからって言ってでジバ じゃ取りに行ったのなうんうんうんほれに たらどこどこどこどこてなったらうんうん ほでこれはなんか消防などこどこてわけで じゃ俺もて言ってねやっぱねなもごつぶ くらいな俺もポケットに入れで出てきたん だ ええあのこんなちっちゃい状態でしょちょ そしてあの小高どこに行った時ほらこの

知らんしろってなったしたああほよそせ なんか波やからもうへらしろってえそそれ 3月12日2日目うん2日目たもだけど その要素材なんかいいから避難しろって いうのはちょっと変な話違柄やっからち柄 やっからていやだってはいや我々がって こうまさかいまなんで先人がりだったかな んだそのぐらいのさ分る話だから分解する わけだそんなとこでねいらっそあれはあの 被爆から2024時間以内飲まないと意味 がないんですよねいそうそんなのは何かで 飲めば飲みたいていう人が多いわけだから うんそのやってねあの結構あバタバタ バタバタしったんですな結果的なあの時間 になってから一般もてあの要素でなどこに 行ったとこなんだとこヤグミラの輪がある わけだからこれそうだよねそやっ分けたら 誰かのポケットに入ったそんあ続いだけ 結構あの人でいたんですけどもあ結局それ はじゃあその配布されないままみんな避難 するってこになったうん配布もらった人と もらわない人いたかなそれ大混乱だもん うんだから原町に行っても知らしても もらってないストいだとけどあまどこに 行ったかもうえいっぱいいててなただだ からあの小高の患者さんとか病院の人も 今度あの2日かかって原町病院でせ運んだ わけだからなあほしたら中島もこんなこと もどなかオタの神の金を買ったとかやなん だとかって問題色々ああ原町の病院って今 の市民病院の生病院のことですよねうん 病院だねなるほど行ったらあのま女子も いっぱいたったんだがなんか老眼に置かれ たとか嫌なんだとかってあそう色々問題て たしたですけどねじゃああれなんですよ そうやってこう避難の範囲が広がってくに 従って皆さんも少しず少しずつ逃げて くうんそうそうそうそうああそしてあの何 3日ぐらい経ってからですよあのシラする しなきなんないってなってま原町部ね原町 の中心部もその30km件に入っちゃった わけだからねこれあのお医者さん以内とか うんうん色々してあの前も言ったか知ら ないけどあの対策会議て朝うんうんうんい 4回ぐりやってたんだなああそれはその 原町の市役集ですね うんあん時も問題になったんだ俺に止まっ ていたからうんうんあからあのあの3月の 6時から始まる1回目ああ朝の6時から 始まるだからは2度ばらしたから大丈夫 だどこで寝てたんですか市長のオフィす長 の オフィスオフィすねあのだら2日目行って いやにからうん色いればいいよね本時あの 高水さとねあの今の近事になってるですよ

あの人といてほして小林さんと高さん高野 さんあのここさんろがって言われて首長は 主張すに行ったのリデルってま観する くらいだとなあのソファーみたいなとこに 寝てるうんでちらはでオスにリディアて やっちうんで高野さんととあ職員もいい だったなの職 ああそしてあのエアコンは付け根でやんて やっちゃよね補が入ってくからんてやっ ちゃな何が入ってくる放射の方入ってくる わって言われて放射の方が入ってくる からだってあんな寒い時にああほであのね 何もなかったんだこれでリゴが丸まっに 行ったわよ寒くてえ毛布も何もないんです かだもうあの中段席やから視聴したからな ああでそさんもリたしもいただ俺なんか このいでいたんだないやそれって雑魚ね っていうに雑魚よりひどいですね雑でも 普通ねなんか薄い布団ぐらいはもらえる けどうんいやなかったじゃてその2日目 だったら新物質もなかったちうだからああ そしたらあれほ筋のしたなあの毛布なんか もらったのなああ毛布限で逃たいもらって なああの桜市長があのほらあの YouTubeでね うんてないとめにってるっていうにあれ 例えば3月2ぐらいに放送されて世界で 有名になってると本当にあですか食料とか 全く来なくなっちゃったのいや来ない来な いっちたかうんあのなんちゅうのかねあの こう30km筋入るなっていうのがあった じそうなものもねああ生えるなっていうの 30km圏内はダメだってこう だとかあいうのはほとんどな新聞も来 なかったしあ新聞はそまに取れに行ったん か新聞ていうかあれなんですかマスコミも 逃げちゃったんですそうそうそうそうあの 役種の記者クラブの記者がみんないなく なったあの市役所の候補の人が怒ってた けどそあの まマのあれをその人口のバンク鈴ななうん うん鈴いなえいなくなったんだ銀行もい なくなったいなわ東行からああなおかつ 我々助けらったのはアブスだもえアスマ 信用銀行あア新友銀行ねはいはいはいアシ アブスはいはいはいすい助けてもらったら ああ最後残ってたんだらはあと農京とかな ああそしてね農京も農の組合んだらなんで もねえから5万だが出してくれたんだっけ かな農あそうえもうかすかすっちたか コンサルストはうんうん5ちままではああ りああ要すにもう非常時だからこのさがす みんなキャッシュカードなんか持ってない でしょうんもうそんなのもごかない でしょうからねですよねそんなやっててす

ま1週間ぐらい止まってったのかなうん それからあれもねあのイザしたったのはね 確か杉だったなほうほうほうあ東京杉区 うん あれ元物の ハマドうんそうそうそれでねバスできてあ 新物持ってきたんだなおおバナナとかこ いうのあれが一番先てなかったかなスナミ が大したもんですねスナミが来る時バス つけてきたのが1番最てなかったへえそれ がその全国からの中うんそれからあと どんどんであの持ってこなかったんだから あのだ相ままで取れに行ったんだソマし までああ相馬は30kmの外だねうん外だ ネのとかあいうのでして新物なんか取って きてやったんだったなうん僕もね取材した んですけれどもなんか30kmの外で えっとなんだったっけなあの食料とか水と か受け取ったですか別にそっから中に運転 手が入らないだねそうそうでそのそれが うん広がってて最後は郡山に通りに行った したからうんだけどそん時たくさん市民が まだあれでしょ原町代小いっぱい残ってた 残っましたよあのうん4月の20あれだけ かなあの経なったね空ねうんウラの石神に みんな避難しててでやっぱりあの宇に戻る んだ1回やっぱりリゴイルドが動物イルド かてほしてこうイチでカなくなってはうん 行けなくなったりうんあれでいてやって ほして石神の小学校に避難した時に私は あの石神あの避難してるたち互に行った時 あん時やっぱりあのなんこれ医が用してた 親あのよのさん言すだけどもあ親親いたた なこ今今って言わなかったのかないやえて ことは小林さんのご家族も石神小学校に 避難してそれはあの夢ハットえハッあ夢 ハットねうんうも嫁さんたなああ夢ハット 中とあれです役の役所の向なの文化会館 ですなはいはいはいあこにいてあこにいる わて言ってうちの長南はあの東京にもあっ たんだなほううんあの相あのそあの子供3 人だ からあもう危ないってうんで東京にあれ回 な嫁さんの地相馬だからあ相馬の方れみな 知らしたチタもいなくなったちいう時あん 時だったから自衛隊がいなくなった3月 12時うんあん時あなら次の日だよねうん 次の日こん時行った時ほでジタはいなく なっちゃったたあこれよ長男でできました のなほで今どこにいんだつったら今東京に 曲がってて今福島高速通走らないから下 行ったのかな下行ったのかうんあのつの おじさんの行てあの嫁さんうんあ千葉に おじさんがいらっしゃっ嫁さんのおじさん がいたわけねほに向かってるって言から

ほしてほしでチタもいなくなこれほれだな て渡ら俺地帯は最後までいろそうだと思っ たた国民守る別だからねこが自体が これこからいなくなったちゅうことはこれ ああダメなんだなって思ってでさんといや 俺ここで住むのかなだからな自分で思った んだなああここで住むのかなってうん そしてあの役所の下にねあのあの食堂あ ですよね地下にはいはいはいはいだ地下場 助かるのかなっても思ったでなあ者の からってこうんそんな思ったたいすなうん タさんあの喧嘩議員のそうそうそううん うんうんうんうんそしてこの帯いなくなっ た時でま東京に曲ってる うんうの息子子供3人ですからああそうな んですまだちっちゃいのいやあのそん時 子供じゃなくてじの私の子供ねあそういう ことです3人ですのででま青森に結でであ そうなんですか あ大高にあの2番目の子供らその2番目は か川崎の行ってたんですけどもあそうなん ですすでそ原はこっちいたからそうなん ですかそうなにはいやたもいなくなっ我々 ここで住んだなと思って補のて住むてとな ことするのかなってす考えましたよ俺苦し するんだがどんなことするんだべなてすあ そうそうですよねだってそんな車ので死ぬ つったってどんな死に方するのかわかん ないですよいやどんなことすんだろや近の 仕事だばなんぼかなのらのかなとはいはい はいはいはいはいそうなん言ますていや あの後から笑いなしまったけどもいやおれ 3年長やれなって俺言ったんだなああ ならお3長やれなって言ってあ笑いばすに なっちゃったけどもうつまりあれだねそれ もう遺言ですね あいやここ でら俺はやってからの目だけせができな いって覚悟したったからああそうか司会 議員だからそれも自分は最後まで残るん だっていうそのためで俺ねやってるま職員 と同じがうんその税金でポスボああそうか そうかそうかだって選挙で選ばれて税金で 給料もらってるわけだだたらここれ残に かんでて残ったんだ残ったちゅうのかなだ からうの娘もね最後にしばらく過ぎてから だらお父さんは残ってるって言われたから うんだからお父さんあの青森だけどあと お母さんと青森さ来てくれるよなってこう 生き延びてくれるちう話だったんだべても こんなこと言ましたかなあそうえすいませ んあの公さんのえっとお子さんはえっと 長男さんがえおられてそのお2人おられる ってことですか今おゃのはあの子供うんあ 男2人いて段いてうんあと町長がれに行っ

てたのあおりしてらたねうんそうそうそう 3人だからあそうなんですかうんじゃあ 長南時半長行やれなって頼む と長男さんっていうのは今の会一緒にやっ てこの人はほ一緒に住んでてここに住んで て子供3人行くから俺ああそ伊が相田避難 してはいうんそと今度東京にがったっちう のかなほで東京の1ヶ月ぐらいいてきたん だなこれであ学校始まるって戻ってきたん だわあそのご自分の子供つまり母さんした おさんそううそれが相までやんかったのな うんソマに行こああソマに学校避難して ましたねそうんそうそうそまに相まの小 学校だ中いたしで次男さんはもう当時から 東京におられたのそん時は東京にいた子供 らはこっちいたわけだ読みさんと読みさん とあの子供2人ではねはあでまたそれは その男さんは男さんでまたそのうんいて今 こっち読ありばこっち原町でいいいます けども今田社会になって1大学行ってから なあもうそのお孫さんがてことうんへえま だけどそうですよねだって当時小学生だっ た子たちがもう二十歳ぐらいになってる もんねででも1番小さいマがサグだったの が今ここいりたうん ここ譲りうんうん2歳の子がはそうですよ ねうん13足したら高校生だよねうんだ そんなだったんだなだから結婚ならうらも あの小学石神に行っときまちょこちょこ 行ってた所あったからね行ってたからいや ならな大変なあの病人に抱えてる家族はな うんうんあの吉野さですとやっぱりねあの あの人は体育感に目ないともうんうんうん うんあのやっぱり病人だったから室さ入れ にもらったんだなああ廊下で寝るんじゃ なくてねうんたらこあと救急車呼ばったり したんだけどあのそねいや小さん親父こと 助けてくれろとかってこういうこいだの あったもいっぱいなうん家族は困っちゃっ てなあと薬なくてあの薬も見ないからあの 病院もしまっちゃうし ねうちに行きば薬あんだっていう人たたお いで来たからあじゃその人たこと乗せてっ たもんああ薬取りね薬を取りねうんそれ 小高の話うん高のう行ったんだ取れね やっぱそういう時あれだよね議員さん頼る よねみんなだから太て俺俺と高野さんぐれ だなと思ったんだやってたのも な軽のトラックさ乗ってたですたはいはい はいこストカ乗りんだよなはいはいはい はいはいこねパだ2人でしてるわけよはい はいはいはいスルしか乗せないからあもさ ずはだめでれんかなってこぐわけよじい ちゃんダメなの薬とずダなんなけあ知ら ないんだ薬の場としたわかんない持って

これれだから言っ たべ 怒だからダメ なあかて持ってこねちゃんだだねそれ ねねクで取れが行った とあの戻って乗っててっただからあれだよ ね例えば高血圧の人がねうんうん薬飲ん でるとか糖尿の人が薬飲んでるってそれ薬 切れちゃったらその人もうあれね体持た ないもんね私もねあのコケ飲んでたろな うんこれなくなっちゃってうんあのすず病 やったんだあああの小高の病院さ小高の家 にさがってたんですけどなくなってうん うんうん手病院に行っておち にも先生ま仕になっちゃとわがからなうん はいはいはいはいやどんなで飲んでたっ わけよなはいはいはいはいやんなってあれ で俺はそういうのあんまり調味ないやそれ わからんですよね薬剤でもないんだからこ でいやしすいやつだって白いやつだですね 白いいるのだって いういやの話でらこれこれ飲んでるわんて もらったあそううん先もがからそういや 大変だったですねだってさんでねその市 役所の床でゴネしたらさ疲れちゃうもね そのしって本当このあ相馬女子子に行った 人たもいるわけだ相馬女子子バルボの尻尾 ないもうあとあらゆる学校とか公的な施設 にみんな逃げたもんねそこにねうは野高野 さんあったわようんこ相女子に行った人た はあれ先ねあの避難始まったのねうん時あ 時役所の私いたんですけどもうんあ室さね あのあれうあの商場観光バスているんです けど鹿島の人をうんうんうんうんうんあの 人がちょうど道中なのかなああ風の安てす だかなそそして俺バス6ダからうん観バス どっかさってなったわけ ああ ぺてなったのよそしたらねあのあの時タタ がねいや金髪金髪事故爆発してたうんうん うんそしたら いや金髪のあ からあの金髪だ近い放しなさた方いいで ねえかて誰が言ったんだな うん先はおの思った桜あいや小さん石さの た何いるってなったわけようんうんうんあ ほっていやなんかなちょっとほってる いやさ 金髪さつってあのあのさっき言ったように 大大田のスがああここ原町の方そうか原町 区の一番南側ここのスさてなってあのそ 女子運んだんだなうんでったんだあれとか そしていたら本時夜あれ夜行ったんだな うんそして本時田京子さんが聞てうんうん うんこのいやいやここはひいとこだってこ

電話よしたあの教子だからコンクリなんだ 言うかなああ冷たくて俺それは冷めたいわ ほしてあのなんかダンボールは積みたり もらったりして10すいだらしじゃなそね そしてあのなんだかあの 点してあの目でガラスなんか目したらしい なああ冷たいからね放入ってこるよあ ガラスあ放射の入らんようにガラスのメバ するメすそです中一応30km圏内だから こんなやってしたしてうんいや寒いとこで いいや住いたくてとあってこんなこと電話 してほして次の日が私行ったのなうんそし たらまムでも結構してる人いますからうん ニとか全で近けだからそしたら今度ね行っ たらねあのあの勝トイレざと用意してやっ たんだっけねはいはいあのうんと あの皇帝ゴわですねっと通なこぐらいはい はいはいそしたらあのやっぱり氷さこの トイレできないがあんなのかああ家トあれ てるああはいはいさんするはいはいはい はいはいあこでポータブルトイレホスてっ て言われてでしょうねこうしてやってこで 俺戻ってきたんなうん役すそしてうんあの 社会フ競技会ですに行ったらうんここ 住まってたろはおおほして社会福祉技が 住まっていたもんだ数に行ってあの複数の あのなんだあのなんうだっけ仏複数の方の 担当ほの物うん音にってあ最すまってした ですうんすまってんだ物音も知らなかった んだすうんポータブルだってほでなんで こんな入れてって俺もこ あれ全然いざという時役に立ったんですな そうて言ったんだなうこポータブルトイレ 欲しく てトイレ使に高齢者のさうんうんほして あの人の俺議員だからなあれ探してきたん だなほで2つ持ってたんだああこち2つ 持っていって俺今度ポータブルトイレ持っ てったわよそん時はもうあれなんだその 小林県業のポータブルトイレもう全部で 尽くしてたんだいやポータブルトイレは 持ってにかったからこういうのはあのこう いう日中で使うやつだからつまりその現場 によくあるやつじゃなうんあれはあのオタ 工業そってっただけだったあとじゃそれで 終わっちゃったのねれで終わっちゃった 疲れえ使あそうそうそうみんなそれそセて なっちゃったからはあそれ持ってくるわけ にいかんかったのかなだらこいあの ポータブルてやる渦中でやるやつなうん うんわからああそういう意味ねこの高齢者 はあの部屋の中でやるやつだこの腰かり こうはいはいはいはいあの風とトイレでは あのひくりにさわあああの子高いとこかっ てやあそういう事もあるんだそうしてやっ

て2つ持ってきて持って行ったんだああ やーっ てほしたらストなやっぱりが災ダブあの 送りでから違が違があの人を退職したんだ な うんな3人ぐり目ようんあ今あの鹿島の 証拠会のズム局やってたっけから ああさあの人上がっててうんいや小屋さん さ怒らしたとなつったや覚えてるんだ覚え てるなあれ怒らたポータブルあれやて何 やってんだて俺それあれだよねいざという 時に役に立たなかったらさ怒るよねこさ やっぱり覚えてるもんないやなっちゃなん てうんだけどそういう時はみんな気が立っ てるからしょうがないよねそんなやってい たら今度まだ行ったらこのこ なあのすぐ星って言われたえ流動色あ流動 色ねはいはいはいはいあのそば女子子で はあお年寄りがうん動食って食べ物食べ てる人いるかな要するにあれだあのもう ネタきりの年とかで歯がない人とかねそう そうほいでまた取り来たわよそでシ病院で 行ったんだああそシ病院でやっぱりあの なんちゅうの小の合のもいだからなんでか そういう時電話通じたんですかいや通 なかったよだもう直接行っちゃうでしょ 全然いや喋るよりは行たちょいたま車で分 ぐりかかな飛ばしてくればでガソリンもね 供給がその時不安だったでうんあカリはね たまたまねうのあれ息子ねうんセラしてっ ときうんあれカで満タンにしたそれ良かっ たこしね最は木のトラック乗ってたなはい はい乗ってかでなる頃まだ着してうんうん 今度木のワゴ乗ってったわよはいはいはい はいほほ逃げなったら今度あの超さちて 持ってったでなはいはいはいうんそんな やってたからあまあ1週間ぐれは大丈夫 だった大丈夫だっただこしてで動だのこう いうのもみんなそしたらあのま幸ほキも やっていくからなあの病院もほ看護さも ある程スレスいくからそいや議が来れば あの助けてくれでなああよなた持ってげや ていうとこ良かったですねいらね追い立て しょがない話だから うんそういう時はやっぱ議員さんである こと役に立つんですねなやっぱそういうの もあってまちょちょうんあのま無は無理 のちだったからなうんこんなてもだやる こと結構やったなと思って分でもうん そしてあのあとは長はねあのそに行ったら あの精神的な家族がいでうんうんあの息子 さんが青春病院さ会あそういうものがいき なくなってそうですねお薬欲しいんだねお 薬が欲しいっていうことで親も心配してて ねまあれ子供40ぐらいかなばあちゃんは

私違がったら今80ぐらいかなこの人は あのくせ干しんだっていうになこて困って してやて言ったらじゃや主役で聞いたら あのうんあのあまあの主役で消て病院の人 やってくたんだっけかなうんこれで福島の 日のなんてか病院最はあの連絡しからあの 取れにてくろち行ってくろちうわけなうん うんほしてああ時福島交通は相からは行っ てたんだなああバスは通ってたのよバスが 通ってた相相から行くやつなそしてさん いやこれ俺そままでこんなやってらんでな と思って体くも足らんですおしまだあん時 携帯で俺知てるした俺のいどあのいなだ オガたしなはいはいはいはいそうさそも調 でいだからで電話で呼ばてあの大さんだっ た言てこれうんうんうんそ呼ばておお何も やて何でもねわないいんだからうんうん じゃあのこの人言ロテで福島の瞬最て何番 さん乗ってここの病院ててくろってなった うんこたのお母さんは私バス採用からロリ なちうわけようんうんうんじゃーんてこの ちのいここと頼んでこで行って行って もらったそま女子こちょっとテぞってなそ したら大で早く帰ってしたんだああ次 早かったしたそしたら月からバスさんので またこの精患者の人がお金持っててタクス で行ったっ ちゅうタクシーいるんですかいやタク そんな時にタクスも福だからなあそっか そっかそっかそっかそっか福島で行ったそ 島柄タで行ったつんだ病院さあそうで思っ た言う早かったんだとほあああだ帰ってく の早かったんだな福島からその南総に戻っ てくるのにうんだからあの福島の一から 病院まで行くのがタで往復したからうん そっかそっかここが早かったんだなここが 早かったそ福島のはまだ機能してたんだ うんほして帰ってきていやほして行ってき たっていういやだらほんなからなこ やっぱり自なこな知ってくからやっぱです なんちゅうのかこう頼まれたで色々色々で ま頼まれればできからな自由でなるほどね こんなやってだから ま随分難長はあるあるたんだななるほどね うんだからなかなかまやらやるてくれたち ほまそういうのもいっぱいやってうんうん まやることやったなっていうよな感じあっ てうんだからだと今あのラチス あの今のあのうの波はねあの避難してく時 ねあのもみんなどこに行くかわかんないく 乗ってくわけなつまり潟に行く出発する時 はねうんどこに行くんだっていうのもあっ た変でバラバラに逃げるんねうんそうそう そうほしね私はあのうんとねまこんなのも あの私はあのマクの中者あったのなうん

うんうんうんうんこいつもうカル満たにし ていて最後になくなった車で来て最後に マーク2だったなこれで乗ってきたの主役 所と市役所の車場に止めてうんこしてたら 本時にあの2日目かな避して時だから夢 ハトの下がうんしらあ遮らする前だなあう のおちゃんは遮らしたんだうんあの福島 咲いたんだっけかな時うんそたら夢あ知ら する前だな夢ハにねうん300円人に入っ てたんかなそうでしょうね小高の下でうん あ小高だけでうん小高の下も弓ハとて入っ たからああそうなんだうんこしいやこれ車 なと言ってみんな氷回ったらなじゃ家族で こんな生子供もいでなほあの子供寝たらで 本当俺まだ自転握る前だからああさので いやいやこんなことももこれどんなすんだ がなんだべがでが思ってな心配だよねほし てあじゃっちうことでほしてステルスで あのなんでここないなって俺言ったんだよ おの人に家族うん家族6年でいたつったな あちゃんばあちゃんつあ子供3たのかうん ほてカソで行くていんなってうわで走でそ ままでガリガリだもんなって言ってあそ俺 ざーっと寝てら最後いや俺もこれ直せねん だら俺も車いらねえなと思ったわよああ俺 の車いらねえなと思って そしてこのとと子供いた人ちょちょちょっ て呼ばってうんほし俺あの役所のこね俺の あ車から感じやってこでやっからあのあれ 乗ってったて頑張れからて言ったうん うんあそうですかほであれよいたあのさ7 年乗ってったとてそれはよくねご親切な ことでねうんうんそしてね人4年さ子供3 年7年乗ってったんだなマ2にマ2そあれ だねほとんど道路交通なんだけど もったとたバトがにないからはいはいはい はいま子供は大はいはいはいはいほしてね 乗ってったられどこに行っただべて電話来 なかったんだなあああれどこに行ったべ車 貸したね電くりよたかなと思ったらな週間 ぐりしたら電来たんだうんこたらサがと いちた川あの岩のあれ田倉松田がはいはい はいあ山のな花がれあの山マズはそこまで 避難したんだだって今通じなかったんだっ てあそう あそうなんうんうんこんなでいやいるって 言いてなそして連絡来ちゃったうんうんで 車はなおいでどこだた主役その駐車おいで あるんだと思ってだずあの行くからって 電話してうんうん女子供車貸してったと うん I

「フクシマから未来への伝言」シリーズ

今回は、3・11当時、福島県南相馬市の市会議員だった小林正幸さん(1948年生まれ)のお話を伺いします。

南相馬市の海岸部から約3㌔のところにお住まいの小林さんは、地震後、海の様子を見に海岸に行きます。

巨大な津波の襲来を見て、軽トラで必死で逃げた。途中、右手を見ると、津波が自分より先を走り、民家を次々に巻き込んでいくのが見えたそうです。

その後すぐに市役所に行き、市長室で1週間泊まり込みの日々を送ります。毛布すらなく、文字通り雑魚寝だったそうです。

トラック輸送会社が原発から30㌔圏への立ち入りを拒否して、南相馬市中心には食糧、水、ガソリンが届かなくなります。銀行が撤退、現金も下ろせない。新聞・テレビ記者たちも逃げました。最後は自衛隊も撤退。

それでも市役所に残った小林さんは「放射能で死ぬってどんなふうに死ぬのかなあ」などと考えます。そして長男に電話を入れ「お前ら兄弟仲良くな」と遺言を伝えました。

まずは第1部を公開します。2,3部までを予定しています。
ご覧になりたい方はメンバーにご加入ください。

ーーーーーーー
<カンパ送付先>
SMBC信託銀行 銀座支店
普通 6200575
ウガヤヒロミチ

<クレジットカードでのカンパ>
https://checkout.square.site/merchant/ML7T3YB2SW3NK/checkout/7YUDL3THCNWZ6BXEOEMAURTV

<連載記事 フクシマからの報告>
https://note.com/ugaya

<著作リスト・略歴>
https://www.amazon.co.jp/%E7%83%8F%E8…

<Twitter>

<Facebook>
https://www.facebook.com/hiromichiugaya/

Write A Comment