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田中英道氏 封印されし群馬の古代文明



田中英道氏 封印されし群馬の古代文明

[音楽] 田中先生お願いします [音楽] え改めて皆さんこんにちは [拍手] こんにちは私はまあのこういうですね高原 は関東にあったっていうこういう本をま 書いてありましてやはりあの関東にですね あのま高原っていうと不思議なねみたいに 見えますけれども実を言うと日本人はです ねあまり こうまあ天のねこう神様なんていうのは あまりこうあの実感がないもんですからま 高原っていう名前も 結局考えてみれば高い天の原原原ですから ねあまりこう高いところにあるってあまり 感じもしないんですけどしかしやはりこう いう概念こういう考え方をです ね日本人はあまり持ってなかったはずなん だけれどもやはりあの乞食日本初期にね出 てきるんでまそういう場所があるのかなと 思っておそらく皆さんも考えたことがある と思うんですけどねでも あの日本人はですね実は言うとあの神は人 なりっていうかですねあのあまり こう西洋のようなあるいはこうキリスト教 のようなですねま高点にいていつもその 絶大な力を持ってですねこうまあ人々を見 てるあるいは采配するというような観念が ないんですねなぜかというと今キリスト教 が1%もいないわけ ですですこれもねですからあのこれからお 見せするですですねこのユダヤ人たちが 日本に来たということも皆さんあまり実感 がないですね でしかし事実はですねそうじゃないって いうことをま私たち は 今 このまさにです ね群馬にこの無人歯は群馬へあの帰るって いうですねこういう これもあの群馬で非常に大きな展覧会が数 年前にあったカタログですけれどもそして これが国宝になってますけど ねこの国宝 つまりまこれはカブトをかぶってますけど ねあの皆さんまこれはね こうカブを被ってるっていうことはあの皆 さんのあの のですね散らしっていうかあのま案内でも ですねあのそう いう大きなですね あのまハが実は言うとこの中にですねカブ の中にあの水というですね不思議な髪の毛 をつけた人がいるんですねでこれはあのま ちょっとここであの一覧表でたくさんの 写真をお見せしてますけれどもま後になっ てたくさんのこういう人を見ますけどこの 上のですね あのこのこれが今のねあのユ大臣だとする とこういう羽がです ねまあの群馬県だけではなくて柴遺跡と いうね千葉の遺跡にもたくさん出てまし てでこれがこうこれが あのま水便ですよねでこういうものがね あのま現代のユダヤ人もあのこれま ニューヨークとかねロンドンあるいは イスラエルに行くとこういうユダヤ教とが たくさんいるわけです ねで実と このままさに群馬のあの博物館に行くと ほとんどがねよく占ってください全部この 羽をつけて あの水面をつけてるんですねそしてこれが ですねま あの聖徳大大使のですねこのま あ息子たちにもこういう瓶をつけたりする わけ ですで皆さんのこの 群馬にもたくさんのこういう人たちが来て たっていうことなんですねでこれをね皆 さん忘れてしまってあるいはま逆 にそういう方がみんな同化してしまった ためにですね別れ忘れてしまったわけねで 皆さん中にねあの実と言うと40%のD 2Eというですねまこれもこの血の中に ですねそういうものが入ってるとDNAが 入ってるっていうこともま最近なって 分かってきたんですけれども皆さんの中の 血の中にですねそういう血が入って るっていうことこれももう今あの分かって きてるんですねでま最近の私の本も その5回にわってきてですね紀元前10 世紀頃からあの5回に渡ってきてユダヤ人 が入ってきてるということをあのまま茂木 さんというま呼び子の先生がね非常に 分かりやすく あのまあ説明してくださって大変今売れ てるんですよねろなりになってるんでま あの多くの読者を得てるわけだねでやはり この歴史の不思議さこれまで知られなかっ たことが急にですねこういうこの羽の姿に よってまさにこの群馬のですね羽を見れば みんなここつけてるわけねでそういう羽の 姿が全部このこういった展覧会のですねに もう展示されてるわけですねそうしますと ねま皆さん中の血にも入ってるってことで これまでですねあの日本人はま朝鮮から 経由でですねあの文化を学んだりあるいは 中国からいろんなあのま検討士なんか行っ てですねそれを学んできたと皆さんはね そう思いですしから漢字もですね全てそう やって あのま中国から得たんだという風にねおに なってるわけですけれどもまあこのことを ですね私どもはま あのま私自身が西洋技術を研究してまして ね でま最初はあのフランスに行ってそして その後イタリアまドイツにも行ってですね ヨーロッパをずっとあの三か国を中心にま ずっと留学して勉強してきたんですけれど も 面白いことにですねあの先生がね全部 ユダヤ人なんですねでもう非常に 親ししてくださってです ねまあ日本人があの大臣あの の大好きでていうかま日本人を非常に歓迎 してくださるなぜかなというのをねいつも 感じてたわけ ね別に こう日本に来あのユダ人が来たんだなて いうなことを誰も言わないけれどもなんか やはり日本人と大臣がですね仲良くしてる これはまだからまよく言われるのはね あのこう戦争中もですね日本人がまこの夏 に追われたあのユダヤ人をですね助けたと かあるいは満州にあのユダヤ人が逃げてき たのをですね満州に入れた人もいるとか いろんなこうそういうあの日由のですね こうまあ有効関係があるっていうことをね おになった方もいると思うんですけれど もこれからお話するのは ね決して日同祖論ではなくてどういう風に 日本人がですねこのま東空大臣 がやってきたのを歓迎したのかそしてどう してこうそれをですねま受け入れたのか あるいはどうその後どうなったのかって いうことをねまこれはあの私はま YouTubeとかあの本なかでよく書い てるんで えお分かりの方はあのお分かりかもしれ ませんけれども今回さらに深めてです ねこの群馬に即した形でお話したいとです ねというのはねあの群馬っていうのはあの 私はもうあの何度も来たことがあるしま あのこう いう研究もですねあのま本で色々と書いて はいるんですけど も非常に面白いのはです ねここはですね 高原山というね山があるんですねでこれは あのま多くの方はねあの日光機が墜落事件 っていうことでねあの ま覚えてらっしゃる方もいると思うんです けれども あのこの事件があった後です ねこの高原山というところに落ちたんだっ ていうことをね こう皆さんが知ってるかどうかつまり別の 山別の名前で呼ばれていたということがね 気づきの方もいると思うんですねで私はね あの関東に高原が関東にあったっていう この本の中であの書いてるのは あのつばさの近くにねあの高原あるいは島 神宮の近くにですね高原それから香取神宮 の近くに高原っていうまいろんな高原と いう土地があってまそこにあの人々が今今 でも住んでるということをね語ったわけ ですがこの群馬にですね高原山という山が あるんですねでこれはね あの面白いのはあのこの山がです ね日本の本当の中心にあるっていうこと ですねでこれあのますでに あのこのこともあの皆さんにあの これ語ってき たこの日高国というこれはどういうどう いうことかっていうと日高国っていうのは ねあのこの名前もあの小食や日本主義に出 てくるんですねだけれどもこの東上国に 寄ってきたとかあるいはそのそこをねこう あの ま行っ て帰ってきたというようなもう曖昧なこう 表現で あの井上国という名前を出てくるんです けども 結局この東上国というのがですね実言うと 高原に重なってるんだということもねこれ も あのすでにここで述べてはいるんですけど も皆さんがまそれをちょっとどのように あの理解されるかあるいは理解していいの かっていうことをもう一度ちょっと述べて みたいと思いですねというのはですね あのま皆さんのあの おりになったこの加えられたこのま ちょっと小さなペーパーがあるんですけど もあのこのペーパーの中にですね実 とこの下 の そうこの2番目のところにですねまこう いうこの日本の図表があるんですけど日本 のねでこれは何かっていうと縄文遺跡の まず縄文遺跡がどの程度あの縄文時代に あったかっていうのをねこう白ま黒いこう 部分があのたくさんの遺跡があ るっていうことをねまあの示してるわけ ですけどこれを見てもですね中期ぐらい まではあるいはま後期まではほとんどです ね関島東北にしか縄文遺跡がないっていう ことがまここでも分かるわけですね実と このことも あのまあ遺跡の数ですからねこう色々と はっきりしているわけでそしてこの遺跡が 意外に関東東北にしかないんだほとんど ですね90%ぐらいそういうことなんだと いうことまこの本であの書かれてるのを ここに皆さんに図してるわけですけれども それがですね結局その部分が い言うとまこの日高国なんですねで日高国 っていうのは例えば北上川ってあるでしょ で北上川っていうのはあの日川と呼んだん だということとかね あるいは北海道に日高山脈っていうのが あってあるいは日高地方があるそれから 日高神社伊上神社っていうのはもたくさん あるわけ ねで それがです ね昔から その高原と呼んなんだということが ねちょうどその土地と高原がダってい るっていうことを私が発見したんですねで なぜかと言うとここに高原山というのが あるんですこの まさに群馬県ですね群馬県のま長野県の境 ですけれどもでそれが高原っていうなんで なぜこういうところにあるのかっていうの はま あのちょうどですね日本の本当にど真ん中 ねここ がでやはりそそこがですね高原なんだと いうこと が関東東北全体が高原 でここにあるのは高原山なんですねでこれ で分かるんですよでここが中心地だったん だなっていうのが 分かるでま私はね あの このまさにですね あの まおオタ山っていう風に呼ばれていた山が この山だったんだなということを分かって あなぜせは消えたんだろうそしたらですね これこれも存じの方が多いと思うんです けれども あの ま墜落をしたまでたくさんの方が死んだ ことを ねこれを ね当時のあの まこの辺ののま知ってる方がです ね 上山ままさに 高原山の名を けすつまりあれだけのたくさんの方が死ん でしまうとですねせっかくの星山であった この聖なる土地がですね名前があの怪我さ れてしまうということを判断されて それ でこれここの土地をですね山という名前で 呼んだ 高原山というのをね忘れてしまうつまり 言わなかったっていうことこの事実がある ということに気がつくわけですねまこれは もう知ってる方は知ってると思うんです けれども本当は山というと高原山だった原 の山だったそして関東が高原だということ が 分かるでこういうねあの日本人のあの1番 えこう我々まだからこんなね高原なんて言 と天国みたいなところが日本にあったら ちょっとみんな作り物だと思って皆さんも そう教えられてるかもしれませんけれども 実と現実のこのここにあったんだていう ことをね知るとですね 途端にやはりあの神話っていうのが あの人間の物語だったつまり日本人の現実 にある土地現実に過ごした場所が結局新話 になっていたんだなっていうのは分かるん です よでまこれはあの何度も私は言ってるん ですけどねあの日本に今たくさんの観光客 がね訪れ始めた まあ1ヶ月に300万なんて来るように なったわけだねそして何を彼らが探してる かって言う と日本は本当に安全な国だねこう日本って いうのは本当に優しい人々ばっかした で何かなくしても必ず出てくるそして ま同時にあの食事が大変おいしいまででま 天国とは言わないけれども日本に来て ずっとほっとするんだということをね皆 さんが言ってるわけですねで特にあの ロシアとかウクライナとかていう人難民 ですよねそういう人たちが日本に来ると 本当にあの日本人になりたいまこここそ ですねこう本当にあの自分のま あ一生痛い国だっていうことさえ言うわけ だねそれからアメリカ人でさえももう 56万円 だけですからね今のところまもちろん イランあの辺もイラクもま時々あのま戦争 状態に入るようですけどもまとにかくです ねそういう中で日本っていうのは本当に いい国だっていうこと の宣伝がですね今インターネットつまり YouTubeも本当に日本がいい国だと いうことをね式に言ってるわけです言わ ないのは とかねあのまあれですけどね民間日本のま テレビだけだけどつまりねそういうこと がインターネットの世界つまり YouTubeの 世界 の人々が語ることが今現実になって日本に たくさんやってくる とでこの時皆さんはねなぜじゃあ日本って いうのはどうなぜそういうそれだけあの 平和なのかそれだけですねあのま皆さんも 本当にあのなんかおまものが落ちていたら ですねそれを拾ったら必ず 届ける自分でね取ってし取ったりすること は全くなというね全くないというは必あの え言えないかもしれませんけどもう世界 から比べるはるかに日本人が正直だという ことがねこうま あ1人を1人1人考えても分かるけねこの 住む気がしないわけで私はまあの西洋の 美術をやっていてあの向こうでまま今でも あの行ったり来たりしてるんですけども 結局ね最初からま私はま 1965年から洋に行き始めた時からです けれど も西洋に行くことは何かていうとですね 泥棒の国に行くんだていうそういう覚悟で 行くわけですよそうじゃないとねこう緊張 感を解いていくともう必ずやられるという まそういう体験があるからねでそれが西洋 なんだとそれがやっぱりそういうアメリカ なんだと思って最初は行って帰ってそれ がなんかいいことのように思ったりする わけねこうそれだけ緊張していけ るっていうことがまあかもねこう文明が 進んでるように見えたわけです最初は ねでもどう見てもねやっぱりどの国行き たいという気は全くないしまたくさんの 友人がいますからねあのそれはそれであの 嬉しいんですけども一歩家から出るとです ね夜は歩けないしまあま歩いてもまま男性 だからまだねこう可能ですけどほとんど 女性はいないあるいはそういうこ危険だと いう状態が続く とやっぱり彼らがおかしいんじゃないか彼 らの国が間違ってるんじゃないかというね 考えには陥るわけですね確かに向こうはね 競争が激しいしとにかく 毎日議論してるようなねあのま大学に言う と特にそうなんですけども毎日 やっぱり議論状態っというかねこう既に 緊張しなくちゃいけないというねでそう いうことがまある わけで私はねだからそういう意味でですね あの日本にはこういう大臣たちが来て たっていうことそして羽がですねそういう ものをたくさん見せて るっていうことを非常にあの注目するわけ で一体彼らはどうやって来た来ていたの かっていうね問題がそれからこうこういう 研究をし始めたわけだねそうするとね ユダヤ人たちていうのはま今も皆さんはね あのイスラエルで戦争をやってガザーと あのま占領してるわけですけれどもそう いうことがねもう古代イスラエルから 始まってるんだっていうのはすぐ分かるん ですよ ねつまり古代イスラエルからもうすでに そう いう彼らのねこう争いっていうのはやって いたんだっていうのは分かるんですね でまあ樹子族と いう12種族です ねでここにまま詳しいあのそれぞれのねえ 民族の大民族の祖あるいは樹脂族のま名前 も書いてありますけれど もまこういうことをね あの今でもこのガザ地区はま こごめんなさいまちょっとあんまりあの 詳しくはあのこの辺の歴史はたる必要ない んですけども今回の目的から言うとですね しかし一応こうこういうこの彼らの ま姿がですねあの当時の姿がまこういう風 にそして彼らがやってきたの はま このイスラエルからですねそしてここをま 草原の道を通っていくのとそれから海の道 を通って日本にやってくるとこういう2つ の道があるってことが分かるですね で最初はですね彼らはこの海の道から来 てるで海の道から来てるっていうのはなぜ 分かるかて言とね須のがですね海を司る ですねそれからあの乞食の中に山幸彦 海幸彦の物語があの海幸彦っていうのがね どうも そのまこれはあの まも あの海でですねあの魚をやってるわけでで 釣り針をね山崎子に交換してあの渡した わけですけれどもこれが この山崎彦がですね釣り針をなくして しまうねそれをもうみさ子はあの釣り針 じゃないと絶対あの受け付けない受けれな いって言ったため に3年以上もう彼はね探すわけですそして 竜宮に行ってえそしてそこでですね初めて あのま和の国の そのま王からですねあの [音楽] 1番すさっているこの 王からま魚をに全部聞いてもらってですね タがそれをしあの喉に引っかかってると いうことを聞いてそれをこう差し出して ですねでそれを海蔵子にま示してこれで これだろうということでそれ以後三彦を 山幸彦があのまあ 抑えてしまうというかねこうお兄さんだ けれども従えてしまうっていう物語はこれ はま皆さんご存知と思うんですこのさ彦が どうも大臣なんです ねでそういうそういうことで面白いのは ですね三子が3 年竜宮にいてですね そして借りたいって言って帰ってきた時に まるででああのま老人になってしまうと いう物語がこれは浦島太郎なんね浦島太郎 と同じ物語でこのこの蔵彦の物語が浦島に なるんだなということが分かるわけです けれど も この生さ思考がどうもそういう役割で あそこの竜宮を見てると琉球と今言うん ですねで琉球っていうのは何かって言うと 竜宮 であそこの琉球のねまあのま聞いたことも あるかもしれませんけれど山島ってですよ それから例えばねあの沖縄の那覇っていう 那覇とかや山とかねこの言葉がですねヤと かあのっていう何かって言うと休息の取る というこれ全部ヘブライ語なんです よですからね そしてそ琉球辺りにたくさんのユダヤ人が 来てたっていうことも今分かってき たでですからその名前 がたくさん名前がそこにあるっていうこと ねでこれもあの分かってきたわけ ねそうすると海に関係する人人たていうの はどうもユダヤ人だっていうことも分かっ てきたでそっからですねスノもやってきた んだなとかねあるいはあの天野宇とか 猿田彦とかねそれから大和たるとかこれ皆 あげた名前は全部です ね この日本のこういう神話の中でなんか おかしな人ばっかしなんです というのは須のっていうのはねあの全部 あの この まあ馬をです ねあのの川を吐いて上から落とすと か落とすとかねこれをまこういう遊牧民族 みたいなことをま乱暴老木を働くしそれ から と言う と線のね暗を持ったっていうんですよこれ はアマテラスそしてその サノから月読の命のま この宮の神がです ね 結局サノが石を働くことあるいはあのま これはもさん存じよねあの岩隠れっていう の存じとねでこれはまあの まさにまノがあまりにも狼藉をする あるいはこれはアマテラスをですね落とす ために彼が隠れてしまった彼女は隠れて しまったということになるわけででその時 にされるま後になってねもう皆さん他の 神々が集まってきてあの追放されるわけ ですがその時に線の倉を取り上げられる わけ でそして天から国つまり国あの出雲の方に 追放されるわけですその時に線の倉を 取り上げるとでその線の倉っていうのが地 となって千葉県に残ってんです ねでそういうこの今ずっと言ってることが ね実いうと現実に行われたことだっていう のが分かってくるわけですでこのことがね 私に非常に面白いとね面白いていうか実と 現実にあったことなんだそしてここが高原 っていうのは高原の山がここであるように 現実の場所だったっていうことがね分かっ てきたですから群馬はその場所だったって いうことも 分かってくるわけねでその物語そのそれは 何かって言とここ にあるようにですね その日本の縄文自体がまさにその高原の 時代であり そして高原って言えばもう天国のような 概念を与えますけれど実は言うと上国の 時代だったっていうことが分かるわけねだ から縄文体には日高国だったっていうこと が分かってくるわけですそしてね あの面白いのは岩手県に宮子があるんです ねそれから仙台の近くに田賀って いうみんな日国の一部を取った名前 あるいは宮子はねこれ言と あの宮っていうのは何かっていうと宮子な んですよ つまり天皇がられたところが都子だって いうことになるま天皇っていうこと葉は もちろんないにしてもですね結局大き がおられたとこが宮子だ宮城県ってある ですね宮城県宮城県って宮県って私はま 東北大学に教えてたんですけども誰も宮県 の由来を知らないんです ねだけどあそこに古代は 都があったんだっていうことを ねまあ今知ってる分かってるわけですから 山内 丸山あそこも1992年ですね大発見され て発見されて今もう非常に大きな広大な あの場所がですね1つの大きな村落を持っ ていたま600人以上の多くの人々が住む 場所であったいうことが分かってきて 大会議場があるいはま この32mもねこうな大きな そして人々が200人300人集まれる とこがつまりこれよりも大きなというか ですねそういうこの集会場が あるそうしますとね業務時代に国がたって いう可能性がよい持てるわけそしてそこに ね六本柱の高い30m20m30mもある 柱が6本経ってる規則正しく立ってるで これはねあの太陽観測ができる わけでそうすると太陽進行太陽 を中心とし たある種の村落であるっていうのが分かっ てそしてそこに栗をね 食べる でまだ米を食べないにしてもですね国を 食べていたっていうことで そしてたくさんの魚も食べてるあるいは イノシシも食べてる鹿も食べてるというね でそういうあの国で国と言わいうことは できませんけれども村落だっただっていう ことをねどうもあそこもね1500年前 ありこの頃少しもっと長く続いたと言って ますけど1700年ぐらいかもしれません けれども縄文のある時期にあそこに都が あったって可能性も出てくるわけ ねでまたっていうのも紀元前つまり1万年 前からあるんですよでそのまたが今 今の天皇家の公共にあるんですね真玉が 1万年前玉が今 も公共にあるというこのの不思議な連続性 っていうのは一体何なのかっていうつまり 現実にあったこと がこう神話に書かれたことがなんか現実に 続いてるんだっていうこの感覚がね私は まあ長く東大あの仙台にいたもんですから あそこがにずっとこうせ何年ごとに都が 点々と移っていったでそれが最後 が このま宮ですね大宮とか宇都宮とかもう この辺の近くに宮がたくさんこの辺でも ですね宮っていう名前がつくわけでね でこういうところにそういうこう先祖たち が住んでいると一貫して住んでるっていう そういうこう歴史が分かってき たでそれがですねま存よにもう今 1万500円前からま あの縄文遺跡があるっていうの分かって ますからまあそんなにこう時代がたくさん 人口がいたわけじゃないので結局1番3年 前年からでしょうけれどもずっとですね ここにまあの縄文のこの時代変遷があり ますけども早々期から早期前期ね中期後期 そして短期とこの長い間一貫して1つの国 があったっていうこともますっても前期 あたりからあるという風に私は思えるわけ でねそれないかって言うと玉 が1000年前からあるからなんですよ つまり天皇が今持ちの真玉 を作られたのがこの時期ででまたってどう いう意味 かこれもまあの既に私の本の中で言って らるんですけど今度新しい本が 縄文縄文文化のフォルモジーっていう本が 出てくる私のやり方は常 に言葉で読み取るんではなくて形で 読み取るというねこれがBの方法なんで これをもうずっと展開してるわけでまこの 縄このユダヤ人が発見したのもまそういう ことである わけ でま この彼らがですねやってきたのがその1万 年前から日本に住んで もっと前からですけれどもまおそらく東上 国っていう国があったのが1万年前ぐらい からする とたったですね紀元前1000年頃から彼 らがやってくるわけです ねですからその前に1万年あるんですよ 日本人のでこれはもういろんなとこから 来るん でまうこういう道でこういう道を想定する ことはできないですけれども しかしここのねエフェソスっていう会議 これは何かって言うと 4131年と書いてある何かって言とね これ はローマ帝国ができてそしてキリスト教が あの まローマ帝国によって公認されてですね そして今のカトリックていうかねご キリスト教が生まれたわけですけれども このエフェソスの宗教会何かって言うと ですねネトリさという ね青森の今 あの 今十字架があるんですよねこれはまあ森に 行った方でご覧になった方もいるかもしれ ません字架が立っているあれはもうなんか 笑い物みたいになってますけども実は言う とあれはエフェソスの宗教会議の人が立て これで追放された人が立てた可能性がなぜ かって言うと十字架だけなんですねでそれ は何かというと キリストだけを信じるとマリアとか他の 成人を信じるなというそのエフェソスの 会議で決まっ たこの 追放のされたネトリさがです ね追放された後ずっとここに日本までやっ てきてん ですでそういうことによって そそしって何かって言と我蘇りって書いて あるね我蘇り馬宿の王子馬宿の王子っ キリストですよだからその キリストもう キリストが 結局それしか信じない人たちそれがまさに ねこう忙しなんです ねそういう人がここ で草原の道を通ってやってきたという可能 性が非常に強いんですで大崎神社こねうさ この辺の京都 はまにもたくさんいますしですねでれから にどうもその蘇市は長そ市の祖先らしい あるいは青森のですねへ今言った平村の その十字架これがもうどうも 忙しいそして1のへ2のへ3のへと書いて あるへというはまヘブライ人ですよねそう いうヘ村というね 人たがいっぱいいてそしてこれこそがです ねエミシになるんですねそのエミシって いうのその意味なんですよ我蘇りのエミシ 自分の名前にエミシとちょっとねこう髭し てつけ てるうことかねそういう名前をつけてるそ ってのはだからそしっての非常に面白い 面白いっていうかまでもちゃんと自分の 正体をねあの 示してるんででそういう彼が結局実は言う と小徳対を暗殺したんだこともちょっと 書いてあね春っていうのは天皇をまず殺し てるわけね でそしてあのま承徳たちも殺したっていう まこれはちょっと秘密になってますけども 殺した後そ翌日に葬式をしてるわけねも 普通りと言ってああいう交代使はのがある 場合はま公共が あの殺される場合はですね長いもりをする わけねそれをしてないまこのことについて はま詳しくは述べませんけれどもそういう ことで ねこのずっとこういう関係が長く続いてる んだなっていうのが分かるわけ ねそしてそして まどこから来たのかっていうことはま真の 思考帝の時も後から日本にやってくるで 柚月国からもやってき てるでこういうことをねずっと私は研究し てですね やはり本当に現実だったんだなていうのが 分かるんです よそしてこの新撰商事録というこの書物を 読むと このまずです ねまこれはまあのここにです ねまず新つまりこれ京都の周辺に住んでる 人たちのねあの人々の住所をこう調べてる わけですねでこの新月がですねと個別と そしてえ初犯 でこの初犯の中にトライ人族の種族で新 大倉などの326種歴をしているとでこの 中にやはりですねこれだけの人がいる わけで結局そういう名前を変え て10世紀に住んで9世紀に住んでるんだ なっていうのも分かるわけねそしてこの別 もです ね誤解来た中の最初の3回ぐらいの人が みんなここのここに名をつねてるわけね 清原現地もそうですねで別だけが ねこれが高原系なんですね神様になっ てるでここの中にあの中見これ藤原ですよ ね からまあ少数派なってますけど物もそう ですだと思いですけどねこういう藤原死刑 がいる わけでこういうこの人々のねこう聞き方を 見るともうほとんどこの個別の中に たくさんのすでに ユダヤ人名前が出てくれた ひ清原み現地もそうだね坂と旗やだから この旗っていうのがね結局 そのこんなにたくさんいるんです各国に 各地にねで皆さん中にみんな果系の方が たくさんいると思いますこれはもう否定的 ないんですねでこのことがあるからこそ 日本人が朝鮮や中国の人と違う文化を持っ てたんだ持ったんだっていうことが分かる わけで特に群馬あるいはこの関東はそう いう人が多いんですよ例えばタコ さん タコ羊男優っていうねこれも皆さんお聞き になったと思うねこれはもう まさに群馬の方ですよねで このタがですね非常にも藤原と組んで実際 と藤原とも言われた人なんですけれども何 をやったかっていうと 群馬でですねたくさん の順道を発見したね銅を発見したま潮同山 とかってありますけど銅山をねそしてこれ によっ て和道解放という日本の最初のお 金貨幣を作った作ろうとしたでこの和道 元年っていうのが706年 あたりでもうそこから作ろうあの使うよう にということをね日本人に命じたんです けれどもそれ でこのお金を使う人 はまた貯める人はです ね貴族のくいあげるということさえ言っ たところがこれは100年経ったら消え ちゃうんですね日本はお金を使わないん ですよそういう貨幣を ねそしてどし体になるまでほとんど使わ ないんですねで中国を使ってたそれなぜか 日本人のあり方 はお金で儲けるということを考えたことが ないあるいはつまりお米1国2国ってあり ますねあの1国2国っていうのは分かる わけあれは絹とか塩とかねそういうもので 交換していたわけですねですから日本人は あのユダヤ人と使ってつまりユダヤ人の 他市がね結局金を家を作ろうよっって言っ た時に使わなかっ た使えなかった使う意思がなかっ たこれが面白いですよねだからユダヤ人と 日本人では全く 違う感覚を持ちながらなぜ共存してたの かでそれはね 結局日本の自然っていうものがね非常に こう穏やか で水が豊富でですねそしてほとんど苦労し なくそれをね今だって水がただですよね ただっていうわけじゃないんですけどもま あのレストラン行けばそれがただで出て くるしというかまあもうそう いうただのものが多いわけです結局水って いうものはねそういうどこにもあるからね でその負さ が大臣たちはもう水もちろん日本以外 ほとんど有料ですから ねでそういうことに慣れた彼らを非常に あの満足させるっていうかでこう地を 回せるわけで ねで果がこうやってもう各地にいるように なるこれこそねやっぱり日本 がま理想の国だってこれはもう私のに書い てんで繰り返しませんけど君がをよく読む とこれヘブライ語だって言うんですよね ヘブラ語で読むとこここそが 我が聖地だこここそ日本が本当にあの目的 の地だ あるいはえこうイスラエルの国家を読む時 今で今でさえ東の国に行こうというねそう いうこと言ってるわけですからいかにこの ユダヤと日本がですねあの密接な関係が あるかは分かるんです ねでこういうことは今までなぜ戦後忘れ られたかっていうと結局日本という国が やはりあの軍国主義になってこう悪い国だ とあるいは敗戦国だということで人々をね こう伝統文化を忘れさせようとしたまそれ がまはっきり言えるわわけですけれど ももうそろそろですねま中年ぐらいになり ますから そしてそういう考え方を押し付けようとし た考え方に社会主っていうのがあるんだね でこれはねだから日本にを社会主義に しようとする動きがま左翼生徒がみんな そうなんですけれど もやはりあのその力を失ってきたあるいは それを基盤とする例えばソ連そして中京 これがほとんど今ま皆さんどう考えか知り ませんけれどもほとんど没落してくるわけ ねでほとんど その経済ももう復興しえない状態あるいは そこで支援する国家をいなくなり始めてま そういう状態 があって戦後社会主義社会にしようとした 動きがほとんど もう不可能なったあるいは もう自滅しちゃったっていうねだからそう なる と左翼の人の基盤がなくなってんです 今でまだから保守 しか行けられないっていうかですね星しか [音楽] あのつまり基盤を持たなくなるわけですよ でそれでもアメリカはねああいうこう いろんな動きをしてますけれどもおそらく ね あの移民の問題だけが残っちゃってねだ からああやってたくさんの移民をこの イスラムから受け入れると当然そのそれ人 たちがまイスラエルの問題で あのまあ騒ぐわけですねまいずれしても ですね こう いうこと がまさらにまこの真の思程の問題もあり ますし果がですねいろんなこう人種として 入り込んでいるでそれが非常に今重要な 例えば二川勝がですね脳脳のねあの期限を 作った人だっていうことで脳の人がま大倉 とかねあるいは私が今も活躍してるわけ ですけれどももう様々なところでね名前を 変えて勝手のユダヤ人がま活躍してるわけ ねそれも完全に日本に同化してるわけで このことが実言うと世界の理想になるん じゃないかと私は見てるわけなぜかって 言うと大臣たちが今1400万しかいない でほとんどが同化してんです各国でね そして日本も同化してしまったとでこう いうディアスポラつまり背に逃げている人 たち が1番心地よいところに住むということが いいじゃないかいいこじゃないそれは今 アメリカがやってんですよねアメリカだ からユダヤ人の国になっ てるですからそういうまここはまちょっと 詳しくこの辺果像と研究したのをちょっと お見せしてまここは詳しくあれしません けれどもで日本がですねこの見したのは 神社だっていうことをねはっきり皆さんも 認識した方がいいと思もちろん神社は日本 の元々の天皇を中心とする こうま高原系の基本ではあるんですけど 新党という宗教となるとこ 二が約しのま行った1つの大きな貢献って いうのは神社をたくさん作っていったこと で1つは稲神社です ねそれから1つは このまここにはあれないですけど も大人天皇の時に人たちが作ったですね やはり ま あの これ侍あるいはこう現地あるいは全てです ね この神社がですね こうまいろんな形でですねこう その彼らの影響を感じさせるものがある わけですけれども ま稲神社の場合はこうイリという名前から 来たんだということをねこれ稲なりしかし 同時に稲濃厚の神社っていう両方まあるし ダブルイメージでねこう受け取られてます けど稲荷神社はまさにそれです ねそして 8万神社ってのがでこういうこれはネリさ のあれですけれど もこれちょっと自分のあでこう いう人たちがです ね聖徳大使の頃 につまり法寺のお作りなったこの仏教に 貢献もしてる ねでこのさき 水面がこういう風な形になっ て小徳大使の子供これがみんな20年後に ですね 1643年にみんな殺されるわけ殺され るっていうか自決を余儀なくされるわけで ねだけどもこの後逆に言うとそ がま あいるかがです ねま天皇の前でざ殺されるわけねでそこで 初めてこの私たち が力を失っていくわけ ですで果が今度は同化し始めるでそこに たくさんのねこういった あの8万神社を初めですねたくさん のでこれはねまこれも皆さんま あの先ほどがなって羽ですいよいよ羽に 問題になってきますと羽がです ね群馬もそうですし芝の遺跡のこういう 水面をつけ てこの水面っていうのをつつけることは これはですから神命期にちゃんと書いて あるわけでユダヤ人は必ず水をつけなさい と書いてわけねそしてこういう帽子も つつけるあるいはまこれはユダヤ人の印で あるわけ ねでこれがこれがですねやはりあの本当の まユダヤ人 が捨てたのがこの ちょうど大下の開心あるいはテテの7世紀 の末ですねこれが水をみんな取ってしまっ たわけそして完全に日本同化していった わそして たくさんの羽がまこれはもうそれ以前の あの問題ですけれどもこういう人物羽が です ねまこれは特にあの柴山遺跡の場合です けどこれからですね この群馬の方もねじっくりとま研究したい と思ってるんですけどもこの羽の姿の中に ですねやはり彼らがいかに日本に適用して いったかそして変わっていったかの いろんなこう資料形 が見出すことができる わけでこれをご覧になっと分かるように です ね鼻が高いしぱ花をあのま刀をさしてです ねで非常に暴力的だったっていうことも 分かるわけです日本はあの時代はね ほとんど戦争もしたことがないです から武器と作ったものはないんですねだ 狩猟はしてますからねしかしあの戦争の 武器を作ったことがないしかし彼は ちゃんと武器を持ってやってきてると このことにね日本人はちゃんと適用してる わけね彼らを受け入れてるわけそれかて いう と日本が やはりまあ白のもそうですけれども中国 朝鮮によってまこの脅威 を感じ始めたからねで日本を守るためには 仕方がないというかねまそういうことで こういうのをこういう彼らを使っ てあの朝鮮南に行ってるわけだねですから 彼らが日本の兵隊になったことでもある 日本の軍事的な力になったこれちょうど ですね今日本がアメリカをの中流軍がいる のと同じです よだから中流軍のああいう費用をね日本人 が負担してると言いながら日本は防衛費 っていうのはもっと巨大にいるはずなんね 彼らがまで を思ってると近隣諸国が考える ほどつまり軍備をして日本がしてることに なるわけですからまあ当時のこのユダヤ人 がこうやってねこういることによって朝鮮 や中国が日本に攻めてこないっていうこと のま非常に類似し たことでもあるわけ ねでこういうものがですねこれからあの 特にそれぞれ今たくさんの今日も見てきた んですけど多くの新しい博物館が このまこの群馬に群馬っていう ね群馬っていう言葉は馬です よで馬っていうのは日本になかったんだね こう縄文時代でなかったですからこれをね 持ってきたのが須 のがね車をこうの顔を剥いであの上から分 投げるなんていうことをしたわけですから この群馬に間が来たんですよ ねだから群馬っての非常に彼らにとって も重要だっったけその前になぜ群馬に来た かここが高原山があったからですよ高原と いう中心地があったからねでこれがですね 関東東北を責めるまある意味で彼らがやっ てくる1つの目的でもあったねでこの馬を 使ってこれご覧と分かるよう にまこちょっと見にくいですけどこ水を つけてるね でこう いう ま馬を使って日本というものをねまある 意味で支配しようとしたわけですけど同時 に日本人もそれを受け入れて彼らに馬を 使わせたと言っても いいこれこそ ね日本人がこう非常にあの をま使ったっていうとねユダヤ人たちが嫌 がるでしょうけれどもま利用したと言って もいいとねで同時に彼らの考え方も入れた わけですよでこれごご覧た分かるように この 古墳というものは一体何なのかという と日本人はですね縄文時代からそうで結局 自然に生まれた子は自然に帰るというね 基本的に自然道と言ってもいい ですからあの山内マリアのお墓もですね そんな大げさなものじゃない確かに あのま彼らがね こう祖先が共に生きるというそういうこと でね あのま村落の中に橋あの通りの横にですね あのま あ棺があるわけですけれもこの棺それと ですねでこの巨大 なこれは根性塚こう5分のこれ携帯天皇な んですけどでこの大きな こうまさにですねあのこれ何かっていうね こんな大きなものを作る必要があるのか 作ったんですよ日本人がねそれ も16万5000も作ったんねそしてこう いう 前方公演府あるいはま私は全後報府って 言ってんですけど円の部分がここは大きく てです ねこれをこれ が精神で物質な あるいはこれが天でこれが地だというね 日本の考え方そのもので作ってはいながら この棺を作ることによよってですねを作る ことによっ て生き返るるっていうね人間がもうあの 死んでも生き返るだろうというそういう ユダヤ的考え方あるいは西洋的なあるいは キリスト教的な考え方を取ったわけね そしてここ に ま質を置いたわけ でですからこういう巨大なものがね たくさんできるっていうこと一何なのか そこ にこうした羽がたくさんまあ並べられる わけ ねでこれもこれは根性塚古墳今高槻市に なるんですけども群馬にも同じようなあの 羽軍があってですね でまこの1つつの研究っていうのもまだ まだまだこれからの課題で 一体何を表してるのかこう いうこういう家がですね一体どういう海を 持ってんのか こ面白いでしょこういうねこうまるでここ になんか別の建物が屋根にあるかの 男これをですね私も研究してたんですけど も船船かなという風にね船船でやってきた からここの家の上に船を置くのかなという まそういう予想もしてるんですけどま とにかく ねでここにもちゃんと関西でもちゃんと水 をつけてんです よですからねこういうことが共通して東西 に行われてるっていうことも私は非常にね あの彼らの一貫性っていうのがあると考え 方 が東西似てるわけでねでそれは何かって 言う とま何度も言いますようね日本のことを なんて言ったかと大山と日国って言ったん ですこれはあの乗とに書いてあるまこれか さんはみんな覚えてる暗記してるわけです けれどもその一番重要な乗りとにですね 日本っていうのは大山と北上国だっと上国 っていうのはさっき言ったよう に関東関西ごめんなさい関東東北あるいは 北海道までこれ が田上国なんででこれがままさにねこう 日本の最初の国家ま最初ませに述べました けどねですからこういうことが分かって くるということは同時にです ね日本あの岩手のこの高する に原山というこの中心地 がいかにこの一方のですね中心地になった かでなぜ彼らがここに来たかっていうのも 分かってくるわけ ねでやはりこれこそね私 あの日本の歴史がこれから変わっていか なくちゃいけないでこれ事実ですからこれ 全てがでこういうものを見てですねあの 証拠にならないとかまだ言ってる人がいる んねそれはないかって言と 形が表現してるものは意味がないんだと いうか文章でしか歴史はこう理解できない んだという変な信仰があるねでこれは 間違いなんですよでやはりこれだけですね 多くのこの中にも あのま 群馬に出てくる歯とほとんど同じものが ありますけどねでこういうことをこれから 皆さんがね理解することによってこの時代 のま国家がですねあるいは各都がどういう 生き方をしていいかでこういう鳥なんかを 扱ってですねでこの鳥こそが ま食べ物であると同時にですね時を ま告げるあしの神様でもある わけそして あのちょっとねあの面白いんですけど 先ほどちょっと似たようなものを見たん ですけど [音楽] 群馬これは あの大阪にあるですね あのいわゆる囲い 型ま歯はっていうこれ何だと思い ますこれは明らかにですね周り に兵があるんですよで兵の中に家があるん ですねなんだろう とこれはねだからこれヨっに行った方は 分かると思いですゲトなんですゲトって何 かって言とね彼らを閉じ込めてそこに 済ませうっていう で同時に彼らもそういうところにあの住ん で自分たちを守るっていう意味もあるん ですけど もそういう形をね救ってるんです よわざわざ羽出ですだから日本でそういう こう彼らの他の国でま行われていた生き方 を日本でまたこういう形で再現して今まで こうこういうものを理解することでき なかったんですけれどもこれがゲトだなっ ていうのは分かるとやっぱり彼らは本当に いかに苦労したんだなっていうことも 分かってくるねだからそういうものをこう 日本でまた再現して るっていうねことがあるわけです よまこの辺の詳しいことはねまた時間が かかりそうなんででこれをご覧になっと 分かるようにですね まあまこれはもうよくね皆さんが あのごなことは多いと思うんですこれだけ たくさんのね全員交方墳を作っ て彼らの心体する考え方を日本がちゃんと 理解し てまあ300年ですからここにいた時代 っていうのは ねほとんど果とあるいはこのユダヤ系と 日本人の共存と言ってもいいあるいは日本 がそれを受け入れてですね共にあのこう 死者を伴っ たそういうことがはっきりわかるです ねだけどもそれだけ私日本人は彼らの考え 方にこうあしの教官を持った死者をいかに 伴うか死者をいかに大事にするかっていう ねでこれは彼もユダヤ人が他の国でやっ てるわけじゃないんです よ日本で初めてやった日本の考え方を 受け入れてね縁が天で方形が第1だだ から天地 父これは最初の日本のねこう最初 のまごようにですね日本が [音楽] あのちょうど その開闢の記述に何が書いてあるかと天土 がもう非常に混沌としていくその中に三神 が現れたというこれは何かって言うと大地 自然が元だと日本はねそういうことで言っ てるわけ です向こうはですね最初は神が大地を作る ことあるいは神が太陽を作り神がですね月 を生んだというようなことを書いてある 日本はですね自然が最初にあってそこから 神が生まれてきたとそうするとその神は何 かと人間じゃないですか人じゃないですか そういう風な違いがはっきりにしてるわけ ね向こうは神という1つの抽象的な大臣 たちは考えてるわけね日本人はそうじゃ ないんだこの辺の違いもね分かってくる わけまこの天皇領のこの大きさっていうの は ねまこの群馬にもたくさんのこう いう天皇領あまあ天皇領と言わなくてもね こう前方前衛交分があるってことご存知と 思うんですけど非常に大きなものもあるし おそらく天皇家のものもあたくさんあるん ですねですからここと群馬っていうのは 1番関西にも近いしそれから関西って いうえ地方もですね 結局なんとかよう奈良は春大社がですね 鹿島神宮の鹿がいるでしょあそこ奈良に鹿 がいるあの鹿はですね鹿島神宮の鹿なん ですよねそれがちゃんと言ってるわけそれ からあそこに春川大将のお祭りしてるもの は雨の小屋の神って言って藤原の神様それ から鹿島神宮の武三の神ねそれからカト 神宮のたふの神これがみんな奈良のの神様 になってるんですこれも大事なことなん ですよですから関東が奈良を作ってるわけ 石を作ってるわけで東大寺ってでしょ 東大寺ないか別に世大地がすぐできたわけ じゃない東台は東の東が大きいっていう 意味なんだねだから奈良関西は東が大きい ところから始まってんですよだから藤原 っていうのは中智市な関西 あの鹿島神宮はねで中富市が藤原市になっ て藤原市の藤っていう何か富士山の富士な ん ですだからこそ乞食には富士山が出てこ ないつまりもう 大きな前提があるから ねですからこういう風にして見えてくる 読んでくると乞食4所期は明らかに 上国から大和国へ移るというねそしてね 最近 あのまもう1つロま日本国士学会でやっ てることでねやい時代ってある でしょやい時代って何かっていうとねよく あれはま文教区の弥町っていうところでね 時計発見されてそれでまそこからやい 時代が始まったということを言ってんです があれは違うんです よやなんですよあれもでやよいていう言葉 をね 結局関東にこういうたくさんのユ大人が来 てい たで自分たちの 文化やヤベという名前を土の名前につけた のをやよいと読んでそれをこの時代の文化 の名前につけたわけです 縄文からやいっていうのはね全く違う要素 があるわけね非常に大人しくなるわけで 縄文時代のものすごいたくさんのね こうま私はは涙ってね火炎じゃないんです よあれは涙なんです横にこう動きが激しい ですからねまその方もあの5月に出ます けどもやはりそういうことで ねこの本当に あのこの時代が このま縄文からやい受けてこれはですね その後の古墳というこれ大和時代になる わけねでそこはいかにやいから古墳時代に ユダヤ人たちの動きが大きかったかって いうのが分かっ果のね だけれどもそれを耐え て はい分かりましたあの時間が来たんであれ しますけれどもやはりそういうこうそれに 日本が引き受けながらねそれを自分たちで 理解してやってきたっていうことが分かる わけねまそこの部分がこうこれからね法人 天皇それから人徳天皇領の巨大なあ あのま分母に も行くわけですけれどもそういう同じ ぐらいの 大きなあの文房も ね関西だけではなくて関東にも あのやはりそれ からはま あのま こう関西とか瀬戸内海地方にもですね生れ てくるわけですからそれやはり全てが やはりこの日本の あの統治が天皇をこう中心に行われてい たっていうことがよく分かるわけですねま この辺でねあのちょっとお話をあのやめ ときあと質問をねこう作戦していただけれ ばありがたいと思いますじゃあどうも ありがとうございまし た先生ありがとうございましたもう1度拍 よろしくお願いしますはい [音楽]

田中英道氏 封印されし群馬の古代文明 

🐴群馬の歴史の素晴らしさ、
私達の祖先は『ユダヤ人を受け入れ、同化してしまうほどの人間力があったこと』に誇りを感じ、未来に繋げていこうではありませんか!
動画に字幕や解説画像などがあり、大変分かり易くなっております。
ぜひ、伊勢崎市をはじめ、群馬県民のみなさま、ご覧になって頂けたら幸いです

#古代史 #縄文 #ユダヤ #埴輪 #古墳

開催日:2024年5月4日(土・祝) 場所:赤堀芸術文化プラザ
主催:伊勢崎市倫理法人会

第2部は質疑応答で、群馬の古代史を深掘ります!
Q. 秦氏がユダヤ系であると断言出来る一番の理由は?
Q. 古代イスラエルから離散した彼らの旅路について……いつ、どうやって日本に?
Q. 非戦の縄文時代から、戦いの弥生・古墳時代へ
 群馬県民なら誰でも知る「上毛かるた」では多胡碑も出てきますが、
 田中先生のような歴史観・ユダヤ観はどうやって学べばよいのか?
Q. 私たちのルーツを探る方法について教えてください
 →世界の中の日本人という立ち位置 を意識すること
 →鹿島神宮の鳥居と向き、夏至のレイライン
 →自然を大事にする日本人の「自然道」を大切に
Q. スサノオが渡来系ならアマテラスは何系ですか?
Q. 赤い鳥居とユダヤ「過越」は関連がありますか?
Q. 鬼界アカホヤ大噴火と縄文時代の人口分布について教えてください!

【田中英道先生のおすすめ本】
★『縄文文化のフォルモロジー(形象学)日高見国の文化』
(2024/6/1発売 / 扶桑社)
https://amzn.asia/d/haoXETQ

★『同化ユダヤ人のすばらしい日本への貢献』
(2024年5月15日発売 / 文芸社)
https://amzn.asia/d/gREbJUF

★『日本とユダヤの古代史&世界史 〜縄文・神話から続く日本建国の真実』
茂木誠氏と共著、2023年6月発売、大好評ベストセラー!3万部突破の人気作!

◇田中英道ホームページ 「美の探究者、歴史と思想を語る」
http://hidemichitanaka.net/

田中 英道(たなか ひでみち、1942年2月20日 – )は、日本の美術史家。東北大学名誉教授。東京都出身。
フランス・イタリア美術史を研究する一方、日本美術の世界的価値についての研究も展開している。 また、日本独自の文化・歴史の重要性を主張し、日本国史学会(任意団体。学会登録はされていない)の代表を務める。
• 1960年、都立日比谷高校卒業。
• 1964年、東京大学文学部仏文科卒業。
• 1966年、同美術史学科卒業、東京大学文学部美術史学科大学院入学、フランス政府給費生としてストラスブール大学に留学。
• 1969年、「ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品」でストラスブール大学ドクトラ(PhD)取得。
• 1970年、国立西洋美術館研究員。
• 1973年、東北大学文学部講師、イタリア政府給費生としてローマ大学留学。
• 1976年、東北大学文学部助教授。
• 1978年、ドイツ、ミュンヘン美術史研究所留学。
• 1990年、ローマ大学客員教授。
• 1992年、東北大学文学部教授(美学・西洋美術史講座)。
• 1993年、ローマ大学客員教授。
• 1996年、「ミケランジェロ・システィナ礼拝堂天上画の研究」で東北大博士(文学)取得。
• 2003年、ベルリン・フンボルト大学招聘教授。
• 2005年、ボローニャ大学客員教授。また東北大学大学院文学研究科(美術史学講座、美学・西洋美術史専攻分野)教授を定年退官し、国際教養大学特任教授に就任。酒田市より阿部次郎文化賞を受賞。
• 2007年、ボローニャ大学客員教授。
• 2009年、ボローニャ大学客員教授。
経歴の詳細についてはホームページ内の「経歴」[1]を参照。
学説[編集]
神道[編集]
神道とは「自然道」であり、日本人の自然信仰に御霊信仰・皇祖霊信仰が加わったものと説いている。また人類の信仰の根源は「太陽信仰」であり、神道はその自然な発展であるという立場である。
ユダヤ人埴輪について[編集]
著書(「発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く」(勉誠出版、2019年10月))や、YouTube番組(「日本から見たサピエンス全史」| 未来ネット)で、古来よりユダヤ人が日本に渡来していたと述べており、秦氏などはその代表であると解説する(秦河勝は聖徳太子の側に仕えていた人物)。秦氏のルーツは、応神天皇の古墳時代に弓月国から来た弓月君が祖とされる。古墳などの巨大建築物をはじめとする最新技術、絹、馬、羊、貨幣(和同開珎、開発者は多胡羊太夫)なども、ユダヤ人が持ち込んだ可能性が高いとしている。
千葉県や群馬県には古墳が最も多く存在し、出土した埴輪の中でも、「長い髭・長いもみあげ・帽子」を被った形の埴輪は、ユダヤ教徒の格好にほぼ一致することから、「ユダヤ人埴輪」と名付けている。角髪(みずら)もユダヤ人の影響ではないかと述べている。

ユダヤ人埴輪は各地で出土しているが、中でも千葉県芝山町の芝山古墳から出土したユダヤ人埴輪は数も多く、状態も良いものが多い。「観音教寺・芝山はにわ博物館」には常設展示されている。
日ユ同祖論と思われがちではあるが、元々日本人(縄文人)がいたところにユダヤ人がやって来たことであると否定している。
ユダヤ人が日本に辿り着いたことについては、アッシリア捕囚(紀元前722年頃)から派生する「イスラエルの失われた10支族(Ten Lost Tribes)」に関連する部族の移動と見ている。
活動[編集]
言論[編集]
東大文学部在学中から評論活動を開始、『国民文化』や『新日本文学』に寄稿していた。フランス留学中の1967年に江藤淳・遠山一行・古山高麗雄らの『季刊藝術』誌上に「日本文学とは何か」を発表、現代日本の小説家を「無生活虚構派」と「生活亀裂派」に分け、西洋的価値観とは違う日本的な文学があると論じた。その後暫くは『季刊藝術』誌上で評論を連載した。1990年代から美術評論の傍ら「新しい歴史教科書をつくる会」による歴史教科書の執筆にも関わった。
近年は旧統一教会系の雑誌『世界思想』にも寄稿しており、フランクフルト学派の男女共同参画やジェンダーフリーへの影響を論じている。教団系の政治団体「国際勝共連合」のインタビューにも応え、公式サイトに掲載されている[2][3]。
講演[編集]
YouTubeの未来ネット「日本から見たサピエンス全史」では、文化を中心として日本と世界の歴史を俯瞰し、新しい歴史観を提唱している。 他にも自身のチャンネルなどで積極的に日本・世界の歴史・文化・社会情勢についての講演を行っている。
歴史教科書について[編集]
2001年9月より、新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)の会長を務めた。2005年『新しい日本史観の確立』で、日本近代史にのみ熱意を燃やす「つくる会」の運動に疑問を呈し、もっと幅広い歴史観の見直しの必要性を主張している[4]。つくる会の分裂後は、2006年に設立された「日本教育再生機構」で顧問を務めている[5]。
ポリティカル・コレクトネスについて[編集]
ポリティカル・コレクトネスはフランクフルト学派の流れを受けた左翼による社会の破壊運動であるとし、反対している。 2021年5月8日、自身のYoutube動画「中共のウイルス戦争と米国の不正選挙ー日本国史学会挨拶ー」にて、
1 LGBTは病気・障碍者・おかしな人
2 病気の人が、人々の同情を集めて、社会全体の問題のように主張している
3 LGBTの割合は全人口の1%以下。そういう「おかしな人」が7~10%もいるわけがない
4 病気の人が、正常な人を妨害する必要はない
5 誰でも異常なものを抱えているし、そういう人がいることは構わないが、個別に解決するしかない
6 LGBTの問題を社会の問題にしてしまうことが、人々に不愉快さと混乱を持ち込む
と発言している[6][7]。
日本国史学会代表として[編集]
日本国史学会発起人の1人[8]。

for your inquiry :
This clip was made by:
Sharon Gidon Kobayashi from Israel

Website: http://sgk-studio.com
Facebook: / kobayashisan555
Instagram: / mr.kobayash. .

SGK-STUDIO Production is a professional video production company based in Tokyo, Japan.

This channel focuses on research and finding the connection between Judaism and old historical Japanese culture and tradition.
We will present to you interviews with Academic researchers, religious authorities, Book writers, archaeologists, and historians.
The primary purpose of this channel is to find the old connection between our great 2 cultures and to create a new bridge between our great nations Japan and Israel with god’s help.

このチャンネルでは、ユダヤ教と古い歴史的な日本の文化や伝統とのつながりを研究することを主に発信しています。
学術研究者、宗教権力者、書籍作家、考古学者、歴史家へのインタビューを紹介します。
このチャンネルの主な目的は、私たちの偉大な2つの文化の間の古いつながりを見つけ、神の助けを得て私たちの偉大な国、イスラエルと日本の間に新しい橋を架けることです。

6 Comments

  1. 完全にユダヤに洗脳された日本人。もはやパレスチナ大虐殺を正義であるかのようにユダヤを崇めユダヤの為に働くマシン化してるように思える。

  2. 田中先生のご活動を本当に感謝しております。日本は縄文時代から素晴らしい歴史があり、誇り高い日本人と歴史を生み出してきました。一方日本は様々な理由で、古代の歴史を詳しく学ばせてきませんでしたが、田中先生の説をはじめ、偽書とされてきた
    古文書がYouTubeを通じて見直されたり、それらを日本人のみならず海外の多くの人が目にして聖地や遺跡を訪れて真の日本の歴史を知ろうとしています。そんな中で、本気で日本人に自国の歴史を学ばせる事を政治家や学者、特に宮内庁と文科省が考えないと、恥ずかしいことになりませんかね?教科書の改編を早急にすべきだと思います。高天原の話を理解するのも、まず古事記,日本書紀をある程度学ばないと都市伝説にされるばかりです。自国の歴史を誇らしく海外の人にも語れるように、多くの人が正しい日本の歴史に触れる機会をこれからも増やして下さるようご活躍をお祈りしております。

  3. やはり、水が重要だったんだな。今も昔も。水源が買い漁られている日本は今後大丈夫なのか?

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