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【DNAから解明】日本人の起源「青谷上寺地遺跡」の衝撃【ゆっくり解説】



【DNAから解明】日本人の起源「青谷上寺地遺跡」の衝撃【ゆっくり解説】

【動画目次】
00:00 オープニング
02:54 歴史のタイムカプセル 青谷上寺地遺跡とは?
07:12 「倭国大乱」「国際貿易」激動の時代
10:27 ゲノム解析から判明した遺伝的多様性
14:29 現代日本人は「縄文人30% 弥生人70%」
19:30 エンディング

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※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。

■参考書籍
・『鳥取発!青谷の遺跡の骨物語』
 (著:井上真央/22世紀アート)
・『人類の起源―古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』
 (著:篠田謙一/中央公論新社)
・『新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』
 (著:篠田謙一/NHK出版)
・『核DNAでたどる 日本人の源流』
 (著:斎藤成也/河出書房新社)
・『縄文人と弥生人―「日本人の起源」論争』
 (坂野徹/中央公論新社)

#ゆっくり解説 #古代史 #倭国大乱

25 Comments

  1. 2,3世紀の倭国大乱、仲哀天皇と言うと‥神功皇后の三韓征伐時代
    6世紀の壬申の乱も白村江の戦いで敗戦した事が原因で大化の改新で蘇我入鹿が暗殺された時期なので
    国外との大戦後に倭国大乱と大陸に伝わったのでしょうね。
    容姿・形質遺伝は母系遺伝なので2000年混血繰り返して居る現在に
    容姿・形質で先住縄文ルーツだの渡来弥生ルーツだのは当てには成らない。
    ※東北の蝦夷も出雲系と聞きますね。
     蛭子=戎、恵比寿(蝦夷の祖)=事代主(富 八重波津身)=少彦名で出雲族富家。

     饒速日(火明=火照=海幸彦)≒素戔嗚(=徐福秦氏)系譜の一族が神武皇子や欠史八代天皇皇子と一致なので=神武天皇

     出雲族富家口伝系譜では物部開祖饒速日と市杵島姫の子、彦穂穂出見(山幸彦)なので海幸彦は父で山幸彦は子と成る。

     饒速日の海幸彦→彦穂穂出見の山幸彦→鸕鶿草葺不合の末子→神武天皇の神日本磐余彦と言う系譜の流れですね。

     神武~崇神天皇までの天皇は物部系譜で現天皇家は継体天皇からの系譜と言う事に成りますね。

     景行~武烈天皇は出雲族天皇と思うのですが、それは富家口伝では出雲臣(神門)振根=倭健(日本武)とあり

     (神門振根=倭健は白鳥伝説のヤマトタケル実在のモデルだからです。)

     振根の子、神門 伊賀曽熊の嫡子、健部氏が神門姓を継ぎ同時に朝廷により日本武の名代部と命じられて居ます。

     又、九州・神門神社ではココの神主が帝に即位したので神門と書いてミカド神社と呼ぶ謂れだからです。

     私は、この神門神社の出雲族だった神主が景行天皇となり、その息子が倭健=日本武なので

     健部氏が名代部に任命されたと考察しています。

     そして日本武の子、仲哀天皇で、その子の応神天皇(八幡神)も出雲族天皇で武内宿禰の子説でも

     南関東国造家の島族の言い伝えでは、神門 伊賀曽熊末子、島津(志摩)国造家の島(直)氏は

     =応神天皇臣下の斯摩宿禰で=武内宿禰と伝えているので、どちらにしても出雲族天皇と成るの考察です。

     出雲族富家の人が葛城氏の養子に成った方が継体天皇に即位したので現・天皇家も出雲族と言う方もいますね。

    国造制度の時代に見る関東平野は出雲系の土地です。

    出雲臣系譜

    関東平野の国造は出雲族系譜で繋がって居ますからね。(出雲系統抽出。)

    无邪志  武蔵 出雲臣祖、二井之宇迦諸忍之神狭命十世孫、兄多毛比命が国造家。(出雲健子=伊勢津彦系譜)

    胸刺   武蔵 岐閉国造祖、兄多毛比命の子、伊狭知直が国造家。

    菊麻   上総 无邪志国造祖、兄多毛比命の子、大鹿国直が国造家。

    相武   相模 武刺国造祖、伊勢都彦命三世孫、弟武彦命が国造家。

    上海上  上総 天穂日命八世孫、忍立化多比命が国造家。(出雲健子・都美呂岐系譜)

    下海上  下総 上海上国造祖孫、久都伎直が国造家。

    阿波   安房 天穂日命八世孫、弥都侶岐命の孫、大伴直大瀧が国造家。

    伊甚   上総 安房国造祖、伊許保止命の孫、伊己侶止直が国造家。

    新治   常陸 美都呂岐命の子、比奈羅布命が国造家。

    師長   相模 茨城国造祖、建許呂命の子、意富鷲意弥命が国造家。(多氏=意富氏母系が富家の天村雲系譜)

    須恵   上総 茨城国造祖、建許侶命の子、大布日意弥命が国造家。

    馬来田  上総 茨城国造祖、建許侶命の子、深河意弥命が国造家。

    道口岐閉 常陸 建許侶命の子、宇佐比刀祢が国造家。

    筑波   常陸 忍凝見命の孫、阿閉色命が国造家。(磯城登美長髄彦=大彦系譜の安倍氏祖)

    那須   下野 建沼河命の孫、大臣命が国造家。

    久自   常陸 物部連祖、伊香色雄命三世孫、船瀬足尼が国造家。(母系出雲姫の物部氏)

    印波   下総 神八井耳命八世孫、伊都許利命が国造家。(多氏(意富氏)と同じ母系富家の天村雲系譜)

    兵庫県神戸市の地名の語源も神戸・三宮にある生田神社に神功皇后が三韓征伐を祈願した時代の旧神主が

    神門家だった様でJR神戸駅周囲には明治時代まで神門村があった様ですね。

    神戸の西半分は播磨国で丹後国風土記の出雲国盗り合戦の地で大国主が新羅王子の天日槍から死守した地が

    播磨国で大国主として戦ったのが家の一族だったそうです。

    ※京都府京丹後国の元伊勢から兵庫県播磨国までが元出雲地域だったようです。

    首都圏にある神門古墳群の神門氏と富家の系譜また、も張って置きますねw

    大国主として戦った家の一族の口伝に「親氏族は島氏」で

    出雲系譜を繋いだ富家口伝が伝える系譜を元に各氏族の系譜を私なりに繋いだ系譜も張って置きます。
                          ↓

  2. 人骨からの復元は、復元する人(学者?)の好みにより出来上がりが異なるような気がするな。

  3. 遺骨の男4人中3人が縄文人、女はほぼ全員大陸人で血縁関係なし。一般人でも妾が3人もいる。これ完全にやばいじゃん。どう考えても大陸から奴隷女さらってきてるじゃん。

  4. 学名はラテン語なのでJは現代のJの発音ではなく、Y音で発音します。大きなお世話ですねw。

  5. あからさまに虐殺されているから何か悲惨なことがあったんだろうなあ
    この時代だと農耕をする縄文人もいただろうし、弥生人も出身は一様でないだろうから、多様な集団がいて人口が増えるとそりゃ衝突は起きる
    そんな衝突がありながらも虐殺はこりごりで徐々に融和・調和をとっていったのが、話し合いでの国譲りだの和を以て貴しとなすにあらわれているのかもな
    そういう風に考えると、言語も単一の起源はなくて、色々な言語集団が意思疎通しながらクレオール化して共通の言語=日本語ができたんだろう

  6. 復顔した顔によく似た人と一緒に働いてた事あるんやけど😂
    特に連絡先交換はしてなかったが元気かな?って思い出したよ。

  7. 一夫多妻だったのは戦争で男が死にまくって女余りになってたからなんだろうか。

  8. 蛇足ですが、「倭国大乱」という言葉は5世紀の後漢書によります。三国志の魏志倭人伝では「倭国乱れ」とあるだけで「大」の文字はありません。

  9. 最近よく引き合いに出される日本人の三重構造との整合性が気になります
    あの論文では弥生人のサンプルが西北九州型弥生人という特殊な弥生人から取られていました
    それで弥生人はアムール川方面からの渡来、古墳人が華北からの渡来とされていました
    それで青谷上寺地遺跡の渡来系要素はアムール川方面だったのか華北方面だったのかどちらだったんでしょう
    それによって三重構造が日本列島に広く当てはまる説なのか、西北九州という局所的な現象だったのかが検証されると思います

  10. 縄文時代から稲はあったことは分かっているが、長江から水稲耕作が持ち込まれ九州→西日本→東日本へと一気に拡まり、国(村)ごとに収穫量の差によって貧富の格差が生まれ、貧しい国は富める国を襲って奪い取るといった戦いが起きた。これが弥生時代で日本最初の戦国時代とも言える。一万年以上も平和な暮らしが続いた縄文時代が渡来人と混血していった弥生人によって戦乱の世となってしまった。それが倭国大乱と言われる事象だと考えます。

  11. 動画の投稿ありがとうございます。 現在の日本人は最新の研究で血液のハプログループではチベット系や広西チワン族の系統と近いとなっており北方系ではないようですが・・・。
    また、アイヌは樺太や千島から鎌倉時代に南下してきた民族で北海道から和人を駆逐していた状況です。

    稲作も中国南部からの伝搬で朝鮮半島は経由してなく人の往来(南下)もありません。現在の朝鮮半島の方と日本人には血液のグループ的に全く別人種なので北方系大陸人は関係ないと思われます。 沖縄方向からの北方への移住が現在の日本人の成立に大きな比重をなしていると私は思います。

  12. 簡単に言うが刃物で人間を「即死」させるのはそんなに簡単なら事じゃないぞ
    殺傷で人を死に至らしめるには失血死させなきゃならんから動脈を切らなきゃいかん、
    動脈を確実に狙って切るには熟練の技が必要だし
    江戸時代に首切り役人が居たのは胴と頭を切り離せば早く確実に死なせる事が出来ると言う人道的な処遇からなんだぞ。

  13. 弥生遺伝子が多いのは一回の渡来ではなく何回かに分けて渡来して来て少しづつ縄文人と混血していったからだと思います。
    そもそも村上水軍を祖先に持つ彼女に言わせると日本列島の青森よりも半島の方が距離的に近く、九州や山口県から半島に行き来するなんて極々簡単な事だそうで、何で縄文人より弥生人の方が多いのだと言われても「行き来が簡単だったから」としか言いようがないんですが・・・
    それに緩やかに混血していったと言いますが、先進文化と道具も持った渡来人が縄文土人の地に急に来たら、そりゃ文化度が高い方が「支配層」になるから交雑を嫌がった可能性は高いと思うんですけどね。

  14. 縄文・弥生時代は授業の時果てしなく遠い昔と思っていたけど、色々とわかってくると親近感や納得などで「うん・うん」と思ってしまいます。でも脳がそのままってスゴいなぁ!

  15. この動画に一つ訂正をお願いします。日本人の起源を語るうえで蝦夷地については続縄文人と謎とされているオホーツク人に触れるだけでいいと思います。アイヌ民族は13世紀頃の元との戦いで樺太から蝦夷地に逃げてきただけで日本人とは関係ないです。差別しているわけではなく区別するべきでDNA研究で明らかになっています。知識がないか何かしらの圧力を受けた政治家が国連でアイヌ民族が先住民族と言ってしまっただけで全く根拠のないことです。よろしくお願いします。

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