【出雲めぐり⑱】⛩️🚗✨事代主神や御穂須須美命に変遷あり?😨古事記&日本書紀な有名な出雲と山陰を巡りつつ古代史と神話を妄想解釈します😉
ミライースで出雲をドライブ旅😊
古事記&日本書紀な有名な出雲と山陰を巡ります😉
事代主神は美保関にはいなかった?🤨
◆参考資料
皇典講究所, 全国神職会 校訂『延喜式 : 校訂』上巻,大岡山書店,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1442211 (参照 2023-06-18)
太安萬侶 [編] ほか『訂正古訓古事記 3巻』[1],河南儀兵衞 [ほか3名],享和3 [1803]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2578740 (参照 2023-06-17)
田中知邦 著『美保神社神徳略記 : 出雲国美保関』,美保神社々務所,明32.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/816122 (参照 2023-06-16)
藤本充安 編『島根県史要』,川岡清助,明40.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/766205 (参照 2023-06-16)
太田亮 著『諏訪神社誌』第1巻,官幣大社諏訪神社附属諏訪明神講社,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983470 (参照 2023-06-16)
神宅臣金太理 勘造 ほか『出雲國風土記』,讀書室世龍 摸,寛政5 [1793]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533538 (参照 2023-06-16)
蘆田伊人 編『大日本地誌大系』第27巻,雄山閣,昭5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1194083 (参照 2023-06-16)
美保神社
http://mihojinja.or.jp/
島根県・美保神社境内遺跡出土の玉作資料
https://k-rain.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2015&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
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7 Comments
登録者1000人まであとちょっと。がんばれ。もう少し風呂敷を広げてみては?沖縄のアマミキヨ族が九州のどこから来たのか、海人族のことなのか、皇統とのかかわりを検証して。徐福の情報源は?徐福が行く前に一定の人が行き来していたと考えられる。東テイ人が何者か知りたい。出雲から能登までにいた人々とする説、沖縄説がある。呉服のルーツを知りたい。紀元後すぐに160人の生口を西安まで届けている。数十か国が中華と交流している。海洋民族をまとめてよ。邪馬台国、畿内はあり得ない。当時、馬もいたし、蛤は取れん。九州は1割、四国も1割、沖縄も1割、日高見国が7割。記紀を読む限り邪馬台国にはたどり着かん。300年も検証を繰り返し北九州ってえらく狭い範囲になっている。辰韓程度。
行った事あります😊出雲口伝では事代主の娘であるミホススミは出雲に残り、息子のタケミナカタは母と一緒に越へ行き、その後諏訪へ進出したらしいです😮
大国主の子、阿遅須枳高日子根=八咫烏で熊野本宮大社の高鴨神社には阿遅須枳高日子根が祀られ
富家が葛城氏経由で大和王権と繋がり熊野本宮大社鴨神社が祀られ富家祖神の事代主も祀られたと言う事でしょうね。
事代主の方が親の大国主の親類にあたるので事代主の方が古いと世間は勘違いしてるのかも知れませんね。
出雲国譲りで西出雲王家の神門家は排除され、東出雲の事代主の一族が男天照の饒速日の物部(天皇家)一族に徴用され
富家の出雲系の姫が姻戚して行ったので饒速日(天皇家は富家分家磯城家姫と姻戚としている)系は母系富家ですからね。
饒速日(=火明=火照)=邇邇芸(神道では饒速日の弟)=素戔嗚と市杵島姫の子、物部彦穂穂出見(神武天皇の祖父、山幸彦)で
子の彦渚武が鸕鶿草葺不合にあたり、彦渚武の子に彦五瀬と宇摩志麻遅が物部系譜ですからね。
まんま皇統神代系譜の氏名が出ています。
物部系譜の饒速日と高照姫の子が、香語山(五十猛)で、その子、天村雲、天村雲の子の代に
嫡子、天御影(海部始祖)、次男、神八井耳が中臣鎌足祖で、末子の沼川耳の子に八井耳の子として多(意富)氏が居ます。
物部氏の多氏が神武天皇皇子として多始祖の神八井神が列挙され
孝元天皇皇子に安倍氏祖の大彦が列挙。
阿閉氏は阿部氏の事で、阿部・安倍氏祖の大彦は富家出雲口伝では
大彦(安日彦)=ナカソオネ彦(登美長髄彦)の事として居るので
富家分家の磯城富家酋長だった登美長髄彦ですね。
男天照の饒速日を持統天皇が女神にしたので天皇家の系譜が隠し易く成ったのでしょうね。
神武~崇神天皇(物部印恵)の欠史八代の初期天皇家は物部氏本家でしょうね。
宇摩志麻遅の系譜の熊野本宮大社旧神主家の和田氏は分家なのでしょうね。
その和田氏の子筋に最多氏姓の鈴木氏が居ますね。
3世紀末に出雲王国が滅亡の後、
東出雲の元王家、富家が
熊野大社を創建すると共に
東出雲地方の神社群を管掌なさっていて
所謂、事代主(=少名彦)=出雲王国の副王で在られ、
徐福ら渡来人勢力が起こしたクーデターに遭難して
粟島の狭小な洞窟で落命(餓死)なさった
ご先祖さまの
八重波津身命(皇室は命のご子孫)
の祭祀施政の一つとして三保神社を創建。
ところで、
神社の屋根の千木(X)の縦ソギは出雲。
それを渡来人(徐福の子孫)の物部が真似たのが
横ソギ。
↑が正しい認識。
横ソギ(物部)と縦ソギ(出雲)が混合した千木は
後世に、富家が
渡来人(物部)と出雲が
過去の怨執、遺恨を忘れて(捨てて)
共に
手を携えて
未来思考で繁栄して行こう!
との決意の表れだとか。
また、三保神社の
拝殿が何も遮るモノが無い吹きっさらし。
なのも隠し事など無く誰彼でも等しくお参りしていただくため。
事代主、八重波津身命の妃の一人で
古志(越)の国から輿入れなさり
富王家の三保屋敷にお住まいだったのが
ぬなかわ媛命
瓊名河媛命。
がふさわしく思う。
瓊(勾玉や管玉等)の原料の内でも最上級の翡翠は古志(越)の国の特産で
瓊の河。糸魚川は古志(越の国)の代名詞だったのかも?
故に、三保津媛(三保の媛)は
瓊名川媛のはずです。
ふどきさんおはコンチャ(*´▽︎`*)ノ゙✨
毎回楽しみに待って楽しく観させて頂いております。
いつものオープニング
神社さんの社伝が正しいってのが皮肉にしか感じられません(笑)
出雲国風土記に美保社と載っていませんでしたっけ
出雲国風土記の美保社の記載に関しては
実は微妙な問題をはらんでいて
また次回補足予定です😉