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宇多丸『ミツバチと私』を評論:週刊映画時評ムービーウォッチメン【公式】2024年1月18日



宇多丸『ミツバチと私』を評論:週刊映画時評ムービーウォッチメン【公式】2024年1月18日

さあこっから私歌丸がランダムに決まった 最新映画をジバで干渉し評論する週刊映画 表ムービーウォッチメン今夜扱うのは日本 では1月5日から劇場公開されてるこの 作品三橋と 私はいこれあのエンドロールで流れる曲 ですねまこのゆかりなんてはちょっと 後ほどまたお話ししたいと思いますがえ 自分の成人に迷う子供とその家族の姿を 描くスペイン映画夏のバカンスでフランス からスペインにスペインのバスク地方と いうねま同じ地方内なんですけどえ フランスからスペインにやってきた家族え 末っ子のアトールまアトールというまあ 一応のま戸籍上と戸籍ってののか本名と いうねなってるハイトールはえ自身の正義 悩み心を閉ざしていたが親戚がとむ両方上 で三橋の制裁を知り8や自然との触り合い を通じて一代に心をほいていくまこの言い 方がちょっとふさわしいからちょっと置い といてはいえ主人公ま愛とルってかまココ スって言っときますかね一応相性ここなん でね主人公ここを演じたのはえ オーディションで選ばれ第73回ベルリン 国際映画祭にてベルリン国際映画祭があの えっと女優賞男優賞っていう性別のあれを なくして最初の受賞でこれ非常に ふさわしいというねえ史上最年勝となる9 歳で最優秀終演俳優勝を受賞したソフィア オテロさんです監督脚本を務めたのは本作 が初の長編劇映画となるエステバリスウレ ソラソラグレンさんという方ですこの方も バスク地方の出身の方ですえということで この映画三橋と私見たよというリスナーの 皆さんからのメールいたいております感想 メルありがとうございますメールの量は 少ないまあ公開規模がね大きいわけでも ないしまあなんていうかな地味なミシア系 映画であるのは間違いないのでまそういう こともしょうがないのかなと思いますが 賛否の比率は褒める意見が7割え主な 褒める意見は政人員の不一致に入れる8歳 の主人公と葛藤する劇中がね8歳って設定 です8歳の主人公と葛藤する母の関係を 丁寧に誠実に描いており感動したバスク 地方の自然が美しい主人公を演じた ソフィアホテルが素晴らしいなどござい ました一方否定的な意見は俳優の演技は 良かったが物語が面白くないつまらなかっ たなどございましたえ代表的なところをご 紹介しましょうラジオネームシガさかな 生姜さんえ三橋と私ですが昨今目に見えて 増えてきたlgbtqプを題材にした映画 の中でも軍を抜いて誠実で法常な仕上がり と主演の方の演技にただただ感動しました

未だに映画におけるマイノリティという 存在は社会の片隅を終えられることを あるいは天字力入れてえ記憶生きあるいは 悲にくれて消え去るという美しさをえこね あげることで観客の感動を呼ぶ装置になり 下がることも少なくないなだからあのま 過剰にこう成人化したりとかあるいはその 過剰な悲劇性を追わせたりとかということ じゃないですかねえでそれはやっぱすごい ってはすごくまあの性的マイノリー飲みな ずねあの結構描かれ繰り返されてきたこと であるんですがえまそういう風になって しまうことも少なくない中本作は主人公の 全人格をどこまでも深く見つめ彼女を 取り巻く人々の出演も交差させつつ何気 ない日常シを積み重ねて彼女の揺らぎと 決意をじっくり描きます個人的に感銘を 受けたのは大してセクションマイノリティ を抑圧する側となる宗教や伝統といった ものさえも糧に主人公が生きる力を育んで いった点です要するにそれがこう完全な敵 という風になるわけでもなくてということ ですかねえ自分ははどんな人間になりたい かどんな人間として他者にと関わりたいの かそれをどのように表表現し証明するか そういった心のアリオがえ健やかに形成さ れるためには家族や地域コミュニティとの 繋がりが欠かせず同時にママジョリティも また1人1人の声が受け止めしなやかに 変わっていくことこそ重要であると静かに 訴えながら変に教科書的にならずバスク 地方の独自の地域職や母親の捜索活動など の多様なモチーフがこだまし合いいつまで も要因が続く映画でしたパンフレットも ページ数こそ少ないものの興味深い インタビューや手厚い解説が満載な 素晴らしい内容で物語を振り返るのに大い に助けとなりました今この時代にこの作品 にえて心から良かったと思います本当に あのパンフ非常にあの後ほどもうちょっと ねこのパンフで僕も知ったこととかであの 必要な説明みたいながしますけど大変勉強 になりました役立ちましたはいえという ことで正吾さんありがとうございますあと ですねえっとこれちょっと全部読めないん ですけどちょっと部分的に言うと作音幸村 さんがねえっとねあの先週の課題作 エクスペンダブルズと対象的な作品だと 思いましたとえ成功してるかどうか ともかくかこ笑いでえ観客を退屈させまと 最初から最後まで何かが起こっている エクスペンスの日常であり身によっては かっこ付きでね退屈な映画ですえ見始めて すぐに見るだえでも見始めてすぐに見る側 に能動的な姿勢を要求する映画だという

ことに気がつきましたとねえというような ことでま濃度的に見るタイプの映画って これはまさにそういうことかなと思います 一方ねこれ対象的なんであの対象的ってか ままさに裏表エクスペンダブルズを例に 出してるとこが面白くてえダメだった メールもご紹介しますねラジオネーム こちらあみこの夫さんですえ主演の ソフィアオテロ名園は評価しますが話が つまらない50点まイナの方ですとえ主演 のソフィアホテルの名園が光りその時の 心情に合わせて男の子か女の子ん男の子か 女の子の顔を使い分けるところはさすがだ と思いました途中からからドキュメントか と思うくらいに今ある人物のそのままを見 てるようでしたただ物語が非常に面白く なくつまらないと感じずにはいられません 欲がなく前日のドキュメント差が帰ってあ となりそのままを見せられているので退屈 でつまらない思いが募りました8歳の自分 が性別にゆらぎがあり三の対応をして 前向きになることはなんとなく分かるが これといって明確さがなく理解しづらかっ たえスペイン映画を数多く見てないので何 とも言えないがこのふわっと感がどうにも 受けつけられませんでしたえ宇師長が前週 ぼそっとついた孫ことなきダサのエンダル ニューブラッドの方が出来はあれだが スコブル面白いと思いますま人はね それぞれ捉え方それぞれといったね面白い ですねエクスペンスまちょっとあまりに 極端なんでやっぱ先週のねあれとねはいと いうことでえ皆さんからもメール ありがとうございますそして今週は熊崎 さんもみと私ご覧になったということで いかがだったでしょうかお面白い面白い 考えさせられるっていう点が僕としては 非常に大きかったですねこれやっぱりあの こ持つ親としてて目もありますかそうね今 3歳1歳で8ヶ月3人の子供いるんです けれどもまこの政治人の問題っていうのも もちろん大きな問題だとであると思うん ですけれどもそれ以外ま子供っていろんな 問題もこれからどんどん成長していくに 従って出てくると思うんですよねその時に 一親として僕はどう向き合っていくことが できるんだろうかとうんうん何もこう自分 的にはよかれと思ってやったことが おそらく子供と傷つけてしまうことがある んじゃないかとか色々考えたらうんうん うんうんうんなんかねこう見てる時もあ 素晴らしい映画だなとかそれこそ主演の ソフィアオテロさんの素晴らしい演技だな とかっていうのあったんですけどうん 終わった後にこうこの映画を元に自分の頭

を巡らせて考えることがうんうんそれ以上 の時間あったかなという意味ではま本当に いい映画だなっていううんうんうんうん うんところだしまだちょっと考えうんうん いやね正解なんてものはもちろんお子さん それぞれとかさいろんな家族あるしあの もちろんあのバスク地方のそれと日本の それは違うとか色々あるからあれだけどで もそうやってこうなんて言うのかな自分に フィードバックしてみるのすごくいいこと だと思いますしねやっぱそうとさこれ ちょっとあの中身を踏み込んだ話だけど 途中例えばお父さんはお父さんでその主人 公の個々のま例えば外に出てそのまま行っ たら傷つけられちゃうんじゃないかとか 苦労すんじゃないかとかまいわゆる親心で 心配していってるともち悪がって言ってん じゃないことなんだろうけどでもそれが まさに目の前の子供の実行指定につがっ ちゃったりとか苦しみに繋がっちゃったり も強うるっていうかでそれはだからその それって実は大人の問題じゃないのとか 社会の側の問題じゃないのっていう風に1 回立ち止まって考えさせてくくれる何か こうあれになるんであればすごいいいのか なっていう気はしたんですよねいやでもね 親子さんとは常に書きじゃないものですよ ねそれはねあとなんて言うの自分のん願望 とこれは自分の願望なのかそれともよかれ なのかなんていうのもうそこのさ境目もさ あるじゃないあちょっと曖昧になっちゃう ところあるでしょそうそうそうねもちろん 我々だってそのいくら頭で分かってる つもりでも1人の人間だから自分の欲望と か自分の何かあるべき言い方を子供にける 面がないとはね言えないだろうしとかさま 教育ってある意味その面は確実にあるんだ からそうですねだからとかねはいはいでも そういうあのなんていうか実は言います けど多様な立場の実はさ味方どの立場に 立っても見れるっていうのもね願の特徴か もしれないくありがとうございます非常に 気な感想でございましたえということで 三橋と私私も新宿武蔵野間で2回見て まいりましたえあのね武蔵野間平日昼でも まあまあ入ってた感じだと思いますねえ 昨年の12月12日この番組のビオンザ カルチャーでえ作家の鈴木みさんにまあの これから公開される作品でおすすめですと いうことでお進めいただきまし鈴みさん あの今作のパンフレットにも起行されて おりますし特ショとかもやってらっしゃる のかな劇場ねはい え脚本監督のエステバリスウソソラグレン さんという方え先ほども言いました

スペインバスク州出身生まれでえ本作が 長編劇画レビューということでえこれまで は短編とかドキュメンタリーをいくつか 撮ってきた人まだからそのドキュメンタ リックなってのはまもちろんそこも得意と されてるわけですね特に2022年え英語 タイトルでコーズいうねえコドの複数系で コーズまクエルダスっていうのかな スペイン語だとえま音楽用語でいう行動 ですねえおばあさんたちの合商談が自治体 のえ補助金が受けられなくなっちゃってで 立ち行かなくなってきちゃって公害を 起こしていると式地元企業のスポンサード を受けて存続するかどうか揉めるっていう え30分のま劇映画激短編映画が感度で 上映されていろんな仕とって注目されたと いう方でございますえ僕はあの今回この タイミングでですねこのえっとコーズと いうこの先全編見られなくてちょっと 見れる手段がなくてえYouTubeに 上がってる予告編とあといくつかのシーン の抜粋が上がってたんでそれしか見られて ないんですけどすいませねちょっとねえ不 勉強で申し訳ないんですけどもでもねあの この構図見る限りえそれこそすごく ドキュメンタリー的にも見えるような 例えば地方に暮らす年配の人たちの ごくごく自然な捉え方本当にこういうお 年寄りたちがいるんだろうなとしか思え ないえ取り方捉え方とかあとは日常の中の ちょっとしたやり取りから不にその人が 抱えてきたモヤモヤした何かとかが 浮かび上がってくるえーさらにはその背景 に社会全体の歪みなどより大きなま問題が 透けてで見えてきたりするというま作りと してはミニマルなんだけど実は重層的で よりこう射程が広いというかそういう作り みたいなところえまその人物の見つめ方と かそのに向こうに社会を透けて見える見 させるえやり方などですねめちゃくちゃ 部分的にしか見られてない中でも今回の ミバと私に通じるたちすでに明らかに確立 されてるなという風に思いましたそのねえ 前作にあたる2022年の短編コースと いうねあのさ僕僕が見たその抜粋とかは あのYouTubeで誰でも見ることが できますんであの英語字幕とかで見ること ができますんで是非ちょっと見ていただき たいですけどということで三橋と私で ございます現代はまあ2万週もの8たち みたいな感じですかね8には2万種もスる あるんだよみたいなことねえスペイン映画 でミバでねミバってついててで少女が主人 公となりましと僕の世代は半ば自動的に ミバのさきというねあの名作をちょっと

連想してしまうわけなんですがえこちらの 主人公はま改めて一応説明しとくと出世時 から自分に割り当てられてきた性別に違和 感があるあるつまり周囲は男の子として 扱ってくるけども自分としては自分は 女の子だっていう方がしっくりくるしそう ありたいのだけどえ周囲や社会がそれを あんまりよく思わない自分が女の子として 売ことあんまりよく思わないんだなって ことも感じていて悩んでしまうというそう いう子なわけですねでえ脚本監督のその エスティバンウレソラソラグレンさんえ なんでもですね2018年にバスク地方で これ本当に痛ましい話なんだけど16歳の トランスジェンダーのが自殺してしまった というねえその自分の苦悩ってのが なかなかその社会に分かってもらえないと いうことも含めて自殺してしまったという ことがきっかけにまスペイン社会全体でも これはきっかけにその トランスジェンダリズム かけて取材を重ねてえでその中で例えば かつては考えられていたよりずっと幼い 段階からジェンダーを含めて アイデンティティの模索ってのは始まっ てるんだとなんかねあの未だにそういう こう例えばトランスジェンダリズム なんかしくりこないみたいなことはま全然 あるということも知って主人公を改めて8 歳という設定にしたということなんですね でただですねここまで言っといてなんです がここまで色々説明しといてなんですがえ この三橋と私という映画を見るにあたって はですね私のおすめはできるだけ えこういうね例えばはいはいあの トランスジェンダリズム 表情をまずはそのまま受け止めるもうどう いうこか知らない状態から見てくうちに だんだんこうかなこうかなあれでもこう いうこと言ってるなとかこういうその言っ てることの揺れとかも含めてあの彼女彼ら そのものをまず見ることから始めて欲しい なという風に思うんですねというのはこれ こそ本作独特のエスティバリスレトラソラ グレンさん独特の語り口なんですけども 例えばえソフィアオテロさん演じる主人公 一応この段階では相性ここっていう風に 呼んでおきますっいうのはこの名前をどう 呼ぶかっていうのが本作のある意味ま最も 根幹の最も核の部分なんですね一番肝の 部分え後ほどまた改めてその辺はあの話し ますけどもとにかく主人公の個々もですね 最初っから自分は女の子だっていう風に 強く確信してるわけでもないしもちろんゆ にそれを外に打ち出してるわけでもなくて

ですねそうじゃなくてえーさっき言った ようにですねえっとなんて言うかな本当に ドキュメンタリー的であるほど自然な やり取りの中でえこの人といる時はこう いう面この人と話している時はこういう面 この子と遊んでる時はこういう面という風 にですねあくまでいろんな他者との関わり の中から僕昔からあの自論として性格 なんてのは人との関わりの中からしか 浮かび上がってこないんじゃないのっての があって人との関わりの中からその都度 その都度あじゃあここは本当にはこう感じ ているのかなさっきは言いてたけど本当は こうなのかなとかあの時は本当はこう言っ たかったのかなみたいなことが徐々に形を なしていくえというでそれはきっとここ 自身にとってもそうなんですよここもあ私 はこう感じていたんだとか私こうなんじゃ ないかなとここも迷ってるんねここも だんだん自分のことが分かってくるって話 なんですねあるいはもう1人の主人公実は このあの作品2人主人公いてえここの お母さん姉っていうお母さんこれがもう 1人の主人公ですね彼女もまた子供たちと いる時ま要するにそのお母さんとしている 時と自分のお母さんといる時あるいはと いる時えあるいはですね新たな職を求めて 例えばあの電話で話してるかフランス語で 話してますねえそれぞれに異なる面を 見せるしそこからえ彼女自身なんかどうも そのお母さんの姉も本当の自分ってのを まだ模索してるってことなんじゃない かってのがなんとなく見えてくるわけです ねこんな風にですねココと姉というねこの 世代の違う2人のま女性がですねえ2人が ですね様々なままここは悩んではいるけど もま主に女性のアイデンティティに だんだん寄りつあるというかねあの そうそうだて分かってきてるわけですけど まこの2人が様々な他者と関わるたびに ですねえここと姉の中にある何層もの レイヤー人間ってやっぱいろんな面何層も のレイヤーがあるけどこの人と重なった時 はこの色が見える分かりますあの色付きの フィルムを重ねる感じだと思ってこの人と 重なった時はこの色が見えるこの人と 重なった時はこの色が見えるっていうその 複数の重なり合いの果てにどうも本当には ココはそして姉はこう感じてきたんじゃ ないか本当にはこういう人なんじゃない かっていうのがえだんだんだんだん 浮かび上がって見えてくるってそういう 作りなんですよなので最初から決めつける とこの味わいがまず見落とすことになって しまうていうことですしだからですねえ

非常にさっきから言ったように非常に自然 主義的に見えるんですよまドキュメントさ そのまんま取ってるだけに見えるぐらいま 言っちゃば地味目な映画にも見えるかも しれないこれ間違いないですけども実は 最初から最後までえ本人すらまだまだ ちゃんと分かっていないかもしれないその 人らしさの それを解くための鍵がですねさっきから 言ってるようにえできるだけ事前な 決めつけを排して巨神にその人物たちの 言動や表情そのまま受け止めていけば 恐ろしく一言一言とか1つ1つの表情が 全部鍵なんですよねそれが非常に実は緊密 に散りばめられた言っちゃえば めちゃくちゃスリリングな映画だという ことがだんだん分かってく特にもう一瞬し て2度目見たらうわもう最初からこの話し てるじゃん最初からこの顔してるじゃんあ 最初からこの部屋にこれ見えてるじゃんと かそういうものがですね実はだから自然 主義的に見えるけど実は終冬に計算も 行き届いてるねえ2周目以降はそのさげな も秋冬な作りに下を巻くことになるわけ ですねなので え確かにその幼い子の政治人というものが 今回のそのメインの題材にはなっています けども同時に要はえ家族や社会周囲が 求めるらしさをその人自身にとっての自分 らしさよりも我々は無意識に優先させて人 を見てしまったり扱ったりしてませんかと いうつまり全体とこめぐるさらに広いこう 問というかな広い射程を持つ問をも含んで いる作品になってるなというのがあるわけ ですねはいえタイトルにもなってるその バクチフバスク地方伝統の要法文化って いうのはまさにそれのメタファーなんです ねそのこと全体っていうのはその8が作る 社会であり素でありっていうねものとの そのメタファーにもなってるとはいでえま 改めて年のためっておけばこのバス地方と いうねえフランスとスペインにまたがって 広がっている地方ですねで独自の言語体系 がその言語ってのはねあの他の系統と全く 異なる言語っていうねえ主人公一家は普段 フランス側のバイヨンヌというところに 住んでてバカンスで1週間親戚が住む スペイン側に冒頭にも出てくるあの橋を 渡って故郷を超えて帰省してくるという そういうあれなわけですねはいえでこの 冒頭縛らを通してすでにですね主人公が その呼び名ですね呼び名を通して社会にお る立場まだから社会が私をどう見たって いるかという社会における立場と自己意識 のずれっていうのに悩み苛立ってるらしい

ことがさりげなくも的確に冒頭いくつかで 伝わってくるってこですね例えばそのま 後ろ言いますけどココって呼ぶその呼び方 に対する反発であり同調でありとかでも アトルって呼び方には一貫して拒絶を示し てますよねとかねこれあの劇場パンフの ですね東京外合え外国大学教授これバスク 研究をされているという小翔さんですかね えの解説がが大変大変勉強になるのでこれ も絶対にあの見終わった後でいいんで絶対 読むと理解が済むでおすめでございますえ 先ほど言ったように系統不明の孤立言語 たるバスク語というねはですねまスペイン 語やフランス語などのようにあの文法上の あの性を分ける名刺とかねあいうのにこう 女性名詞とかそういうのがないえ言葉 らしいんですけども一方で名前はね やっぱりどこの文化系もそこに性別のなん とかってのやっぱありがちなもんでござい ましてま主人公ねさっき言ってる個々の 一応現状の本面はさアトールこれは典型的 なバスクの男性名ってことらしいんですね ゴリゴリの男なってことらしいんです アトールはでえ主人公の子は本当にサカ 言ってるに一貫してその名前で呼ばれる ことにはもう不快感を最初から示してます ねもうやめてって言ってるしアトルって 呼ばれても返事はまずしてないっていう 感じがありますけども一方でえ誰がアトル ま彼女のことをアトルと呼び基本男の子と して扱うことに無頓着であるか逆にそう じゃない人は誰かっていうことももう序盤 からあこの人はもういきなりこのの感じ もう男の子なのになんとかとか言ってんな とかあのあのなんだえお母さんのおばさん にあたるねあのあの人は最初から娘ま ちょっと冗談ぽくだけど娘になんとか言っ ときなさい最初から言ってるんですよね もうというかねそういうことがあったり する一方えキリスト教の成人である白くの ルチアていうねえからインスパイアされた 当然これは前半で交わされる信仰とは何 かっていう会話もこれは本当に見事に伏線 になってるわけですけどもえそのの キリスト教のその成人ルチアからえ インスパイアされた後半でここが自ら 選び取る名前ってのはもちろんルシアって のはもちろん女性の名前でえつまり彼女 ルシアにとってさっき言った男性名アトー ルってのはこれえ1月10日に昨夜柳川 さんワーオザイヤ2023特集で第14位 に選ばれてましたえデッドネームねまさに 彼女にとってはえアトールは過去のもう その使いたくない新な名前なんですよアイ トールってのねえあとそのちなみにさっき

から言ってるココっていうのはねえっとね 坊野とか坊主とかそういうな子供用のね 相性らしいですねただま日本語だとね ちょっとボーズってのはちょっと男の子感 強めになってしまいますけどまとりあえず そのまだ性的に身分化な年頃の感じって 感じじゃないですかねなんとうんなんか こう機関坊とかさ機関坊とかのボって感じ かななんとかボって感じでねなので アトールとアトルのその男性名とルシア 女性名の中間ぐらいの名前っていう風な イメージでいいと思うんですねなので彼女 にとってはとりあえずまだマシな呼び名な んだけどてことだよねゆえに呼ばれるのを 嫌がったりとりあえずはそうもう面倒 くさいから名前は必要だからとりあえず ここですって言ったりするとでもそんなさ 坊主なんて名前だからその聞いた人はえ そんな名前あるみたいな感じになったり するってこですよねはいでえまもっと言え ばですねそのさっき言った彼女が本当に 望んでいる呼び名ルシアという女性名は 当初はそのごく限られた子供同士にしか 明かしてないですよねつまりそのルシアっ ていう名前で呼ばれたいんだっていうこと もイコールカミングアウトなわけですから でやっぱ彼女は子供だからって言ってます けど大人がそれによってどういう動揺を 見せるかをもう分かってるわけですよね大 世間的には特にまおばあさんやおばさんや ねえあのあのちっちゃい子考えたおばさん とかお父さんみたいにまあ多分これいう ことに関して理解なさそうな周囲の大人 たちがどういう反響を分かると分かってる からカミングアウトそのものなので彼女は だから分かってるからその名前を限られた 人にしか明かしてないしっていうことそ もうその時点で痛ましいっていうかもう なんかなんでこんなことで苦しまなきゃ いけないんなって感じがしてくるんだけど もえでね子供の政治人と言うととかですね まさに劇中のおばあさんやお父さんがま 言うようにですねこういうこと言うと本当 に日本でも結構いますけど例えば甘やかし すぎたとかですねえ子供が混乱するから しっかり大人が線引きをすべきといった 理屈をまその最もらしく言う方 いらっしゃいますもちろんそういうも よかれと思っておっしゃってるんでしょう けどもええでも1番大事なのはそれ以前に これお母さんのおばがねえ言うですねあの ルルでえとルルデスさんと方が言う通り 子供が自分をはじるってことは間違ってる これだけは確かだろうっていうことですよ ね自己否定的な感情を抱いたまま育つこと

こそ間違ってるってことだからはい えーで混乱とかね子供が混乱するだろうと か言うんだけどいや混乱を招いてんのは むしろその大人側のその決めつけの方 だろうと虚心に本人の言動やさっきから 言ってる映画を見る態度でもあます巨に 本人の表情や言動をえその人そのものを 受け止めようとしないでこうあるべきと 決めつけえ思い込みをあめごなしに 押し付けようとする社会である大人たちの 側こそが混乱とかなんならそれこそ現実に あったような悲劇を招いているんじゃない かっていう風に本作を見るとやっぱり 改めて思えてこざる得ないという感じがし ますよねえただですね本作の中のいわゆる その保守的な大人たちもですね決してその もちろん悪気がある要するにそのこの人が 悪ある人いい人っていうそういう色分けで 描かれてるわけではなくてですねこの作品 本当になんかそういう多様な人の多様な レイヤーみたいなものをですね本当にこう レイヤーで描いてくっていうかなこの人は この面ではこうだけどこの面ではこう みたいなそこがすごく豊かなあれをえ迫撃 になってると思うんですけども例えばえ そのここのお母さんの姉とさらにその お母さんここにとっておばあさんの関係性 こっから浮かび上がるのは例えばそのえ姉 のお母さんつまりおばあさんはおばあさん でいかにも旧世代的なジェンダー的枠組の 中で自分の中の何かを犠牲にして我慢して 生きてきた人なんだってこともだんだんと いろんなディテールとかいろんな相から 積み重ねから分かってきたりするわけです ねだってねおばあさんおばあさんこんなに ね裁縫とかこんな綺麗な可愛い服作れるん だからこっちの仕事すれば良かったじゃ ないのってまあねでもあのおじいちゃんの その彫刻のね手伝いでま忙しかったしま それはそれで成功したからとかえあとは そのおじいちゃんはもう彫刻ばっか作って てマネジメントは全部おばあちゃんがやっ てましたよとかそれなのにおじいちゃんは そのモデルと明らかにそういう女性関係を もうあかさに繰り広げていてそれにおばあ ちゃんはだからま黙るしかなかったみたい なそういうまあ時代ならではというのか なんかわかんないけど旧世代的なそういう 辛い思い女性なの辛い思いってのしてき たってのがあるえでそのおばあさんの世代 よりは進歩的でるはずのココのお母さんの 姉もですねその例えばその最初からなんか 大好きだった彫刻にねもう1回こう再び 挑むというようなことでも他の誰もそれ 分かってないんですよなんでそんなこと

するのかを彼女は説明しないから彼女だけ の同機なんですねカの女だけが何かこう 彫刻にもう1回向き合おうとしてると つまりどうもその失われた本来の自分を ようやく今取り戻そうとジタバタして るっていうことっぽいんですよねその自分 の経済的状況とかそういうのももう全部 置いといてとにかく彫刻なんだとで もちろんそれはそれで彼女にとっては切実 なんだけどその背景としてどうもその数し てきたお父さんの幻影っていうのに囚われ てもいるっていうことがこう見えてきたり もするというでそんな姉ねそのここの お母さんと姉のお母さんおばあさん それぞれが書かれてきた2世代のえ女性の 我慢とか不満が一気に爆発する途中ですね 洗濯物干しシーンがあるんですよここ普通 に洗濯物干してる場面なんですけどいけ なげなよ母と娘の日常的風景えてここの会 はねそれをいっちゃおしまいよな売り言葉 に買い言葉の 欧州地獄ですねこれ本当地獄みたいな会話 んでしたねこれね本当にねえね例えばその ねあんたこの仕事するなら子供1人にしと けって言ったのに3人も産んでなんてこと 言ったりとかこれもひどかったねうんうん そういうこと言うねお母さんには彫刻芸術 のことなんかわかんないでしょこれもこれ もねだからおあのおばあちゃんにしてみれ ば私だっていろんなこと我慢しておじい ちゃんのためにあんたたちを育てるために 我慢してきたのにあそういうこと言うとね お父さんがあんたの彫刻をどう評価してき たか教えてやろうかみたいなやめなやめな それはそれは言わないでていうねでそれで 決定的に自信を失ってしまったが故にか あのここのお母さん姉はですね後に ちょっとアウトな行為に手を染めてしまう つまり自分の捜索っての自信が持てなく なっちゃったからいうことやっちゃうわけ ですよねだだからその意味でですよえココ は自分の娘のココはその政治義に悩み ながら本当の自分らしさ本来の自分らしく いるために苦しみながらも戦ってい るってことをいんだってことをお母さんが 知ったことはつまりその自分らしさっての もう見失ってお父さんの影みたいなものに られてるしでもう自分じゃなくてお父さん の影で勝負しようとすらしていたという 自分にお母さん姉にとってこそここのその 内実を知ることが成長につがるっていうか 私違って間違ってたってことにつがる みたいなそういう構になってたりするわけ ですよねえ一方ではですねその家族や村の 中ではちょっとこう浮いてるっていうか

ここの存在でもあるえ姉のおばさんさっき から言ってるルルデスさんっていうのが 大人の中では唯一個々のあり方ってのを 本当に最初からそのまま自然に受け入れ てる人物もつまり社会の主流的なところ からもうすでにずれちゃってる人だから こそそのまんまそその人のあり方をその まま受けてる人だってのもとても味わい 深い当たりだなと思いますまあれこそ若い 世代に大人が示すべき態度だという風に 思いますよねただまこれもだからやっぱり その直接の親だとその心配が勇気すぎて こうなんていうかむしろ有害な囲い込みと かししちゃいがちなところをっていうさも あんのかもしんないけどね えでまとにかくそのそんな感感じでですね ま例えばお母さんの姉おばあちゃんのと そしてその姉のおばさんのルルですとえ 立場や世代が異なるもちろんここも含めて ですね立場や世代のことなる女性たち それぞれのレイヤーってのがすごくこう 豊かにそれぞれの立場のでもなんていうか な女性だからこそ我慢しなきゃいけなかっ たり飲み込んで生きてることっていうのが こう描かれてきたりとかするわけですね 女性っていうものに与えられる プレッシャーとか えの一方でですねその傍えー最もガチガチ に常識や対面に捉われているように見える のはやっぱりお父さんなわけですけども この映画だからそのいわゆる大人の男が出 てくる場面が結構後の方になまでないわけ ですだからお父さんがそこに介入してくる と途端にうわなんかすっごいなんかこう無 神経な乱暴な人が来たって感じがするん ですけどただ彼もまたえこれ監督も インタビューで言ってますけどねえなんて 言うのかなそのここがその外で傷つくかも しんないとかこれから苦労かもしんないと かそういうこと心配してああいうことを 言っているまだから彼なりによかれと思っ てではあるんですよということは監督も 言ってたりするとだからこそあの彼は本当 にただ悪い人とかただ無神経な人じゃな いっていうのを示す意味でラスト彼の居 場所ですね家族がこういる中で彼の居場所 佇まいあれは確かに単に無心なだけの男性 ではない彼は彼でそのま悩んではいますよ 自分のどうするべきなのかどう受け止める べきなか悩んではいるけど分かろうもし てるんじゃないかと彼は彼でその古い男性 とか特にねスペインとかだとま日本とか 以上にひょっとしたらマの何かとかあるの かもしんないから彼は彼でやっぱり悩んで 次の段階でも家族のこの今の新しい形を

なんとかで家族もそれをお父さんも分かる よねって感じでいるんじゃないかって感じ でそういうこう視線がとても作り手のです ね大人でフェアな視線っていうのをすごく 感じる作品なんですねえでそういう大人 たちとは別にですね子供同士の世界で 生じるもろもろってのとっても興味深い ですね子供ん中にもやっぱりそのある種 パワーバランスとか政治みたいなものが ちゃんとあってあの地元の女ボスみたいな のにねえ従うかどうかとかあとあのプール がかりのねこのちょっとあの意地悪なね 目線だとかみたいなものもすごく面白いし 特にやっぱりあのえあのすごく仲良くなら あの地元の女の子あの女の子とのただただ フラットな関係性っていうのがすごく やっぱいいですよねえ彼女が途中であの 水着をねあの交換しようっていうところで うちの学校にも男の子だけどまいわゆる 女性期がある子っているよっていう風に 言うとあれはあのキャストの女の子が本当 に行ったことらしいんですねこれもだから やっぱりそのこういうフラットさがあれば どれだけ救われる人がいるのかっていうね 感じがしますよねというようなことでで そのフラットでオープンなこの2人の やり取りそのやり取りまさにしたところで 要するにあなたのあのまま受けれしそれで いいんじゃない別に何の問題がぐらいの 感じのフラットな感じのその関係性の中で こそ激中大人たちが探し回ってどうしても 見つけられないあれがシレッと彼らには 見つけることができるこれが面白いですよ ね人にとって何が真に尊いことなのかを 暗示しているかのようですよね大人たちは 見つけらんないんですよ彼らのあの関係の 中では見つけられるんですよ非常にこう 暗示的で面白いわけですこんなようにです ねえ取り方とか演出はさっきから言ってる ように非常に自然主義的でありながら とても象徴性に飛んでるというのが やっぱり本作の優れているもう1つのとこ ですよねその咲いたるものはやっぱり何と 言ってもクライマックスでしょうま クライマックスこれどうして起こるかって 言うとま要するにその高々がいなくなっ ちゃうわけですけどもせっかく意を消して 可愛いドレスでビシッと決めてね鏡の前で お母さんもようやく理解してドレス着て 女の子のドレス着てもうこれでこれで みんなにねあの要すにある意味カミング アウトしようっていう時にでもあの後ろを 通るおばあちゃんの冷ややかなねそして なんと言っても後からやってきたお父さん の剣幕ですよねでここはその冷ややかな目

は剣幕そのものというよりはそれで お母さんが立場がなんか片が狭い思いすん のがやだなっていうことで結局男物の服に 着替えちゃったでそのしかもその男物の服 に着替えちゃったもう諦も絶望しちゃって ますからもうなんか人の話もなんかねもう もう構わないでって感じになっちゃってで そこにですねそうま彼女は深く深く絶望し てるわけです男物のシャツを着ながらそこ にでもあんだけ大騒ぎしてシャツ着替え させた大人たちは全く意に返してないかの ようにですねおい記念撮影よなんつって 集まってなん記念撮影なんかした最後 つまり自分が男のシャツを着たきた自分が 家族の中の位置で固定的な位置を記録され てしまうわけですよねまそれがもう決定的 に嫌だったんでしょうということでそのえ 記念撮影よっていう時にここは逃走をする わけです大人たち記念撮影が終わるまで ここがいないことに気づきもしないんです よあんなに騒いたくせに男の格好させるか どうかでいるかいないか気にもしてない じゃないかっていうことですよねでおまき ながらまいないことに気づいて森の中で 必死の捜索をするとここがま クライマックスなんですけどねえーここで まさにさっきから言ってるこの映画全体が あこの映画が何の映画だったかってのが 明解になるわけですつまり呼び名の映画だ と人からどう呼ばれるか人をどう呼ぶかを 巡る名前を巡る映画だったんだ非常に象徴 的にこの名前というのが機能するわけです ねつまりえいなくなっちゃったそのここを ね相性ここを探すのにまみんな男性命で あるアトルアイトルって呼びかけてるわけ ですでもここまでそしてここの気持ちをね 知ってる我々としてはその呼びかけ自体が なんと無神経でなんなら暴力的に響くこの お前らのその声が彼女を追い詰めたんだろ うっていう風にやっぱり分かるわけだから あいところあとって叫ぶためにもちょっと 耳塞ぎたいような気持ちにもなってくる みたいなでそもそもその呼びかけは彼女に 自身彼女自身には届かない呼びかけだよ ってことをお母さんはお父さんに言うわけ ですねそのダメだよとそんなこと言っても としたらもうでも名前なんかなんでも いいってお父さんそこでも言うわけです そこである人物がこれがねお母さんじゃ ないしルルデスでもじゃなくて要すに最初 から理解が深かったタイプの人じゃなくて あのあこの人が言うんだっていうのがこの 人が意を決してま言っちゃえば彼なりの 勇気を持ってついに彼女が呼ばれたかった 名前でを叫ぶっていうえで続いてお母さん

姉もそうだよねそうだよでやっぱりつまり そのんこと名前を叫ぶということは周囲に 対しても要するにそのアイトールって呼び 続ける人たちに対する講義にもなるわけ ですからちょっとだけ勇気がいるんだけど もそこで勇気を絞って家を消してま彼女が 呼んでほしい名前ルシアで呼びだけると 名前を巡るこの辺りの車マックスとして こんなにエモーショナルな見事な着地が あるでしょうかねもう僕はあの人が意を 消したようにその名前を叫び出した時に もう鳥肌ともうちょっと落雷が結界という 感じでちょっともう参りましたという風に 思いますそのはいえということで見事でえ 色々あってですねそっからま場面飛んで オープニングと完全に追をなすラスト ショットねオープニングの時点では お母さん姉は何にも彼女のこと分かって なかったそのお母さんと彼女の関係の変化 えそこのラストショットまでイさエンド ロールのえルシアのその表情ルシアになっ た彼女の表情とそれにに続くえルルデス イオンドさんという方の夜という曲さっき ねえオープニングで流れてましたけどその メッセージに至るまでこれあのパンフでの ね先ほどのえ萩尾さんの解説によるとです ねえっとフランコ独裁政権家でえミニスカ にバスク語で歌うっていうので世間から めちゃくちゃ避難を浴びせられたという そういうアーティストなんですでそれが このく夜の暗闇非常にそのの中がすごく こう暗いことしかないような暗闇の中で 希望を見出そうというような歌を歌うこの エンドロールまで実は大変大変見事に聖地 に組み上げられた作品じゃないでしょうか ねあの自然主義的に見えるからこそこの 聖地な計算に下を巻きますねえソフィア オテロさんの役への理解度体現度何せを これ以上は考えられないほどのレベルも 出してますしまあの先週があのxend4 なんでま自動的にそうなるんだけど現状 今年のベストですねえそれだけじゃなくて あの多分今年の年末にもベストトップのの 方に結構入ってくる作品じゃないですかね すごいもん見たなと私は思っております 三橋と私是非劇場で落ちして くださいはい時間内で大急ぎで来週後補作 10作品ありますんで発表していきます まず最初の候補ゴールデンカムイ続いてみ さあれ3つ目僕らの世界が交わるまで4つ 目サンセバスちゃんへようこそ1つ目 ベスパー6つ目アクアマン失われた王国7 つ目カラオケ当たりました1回ねえ8つ目 早々のカーネーションこれ先週売り 合わせれましたここの爪笑いの怪物そして

最後の候補はリスナーカプセルですえ ミシェルガンエレファント鹿市男さんから いただきました彼方の歌ということであの 春原さんの歌のね杉田教師さん監督作と いうことで入れさせていだきました以上 10作品ですガチタえということでえっと ウクライナ支援えっとパレスチナ支援 えっとノト半島支援でえっと3万円今日 ちょっと今日あの金なくてあのちゃんと ちゃんと後で持ってくるんであのちゃんと 収めるんですいませんえ5えベスパ最初 当たりましたでももう1回回さしていき ますベスパーすごい高橋よさんも高評価し てて面白そうさあもう1回行きましょう コンコンはい え77あカラオケ以降当たった先週1回 当たったからね山山さんの漫画会映画え じゃ行ってみましょうカラオケ行こです カラオケ光はいはい行ってみようという ことでえっとク公式チャンネルじゃねえ えっと来週ですねえカラオケ光やります リスタマクに最た方には現金2000円を プレゼントいたします席はどちらもうま@ .CO.jpまでリクエストとかも送って くださ以上ムービー落ち面でした

TBSラジオで月曜日~木曜日22時から生放送でお送りしている「アフター6ジャンクション2」内の人気コーナー、劇場で公開されている最新映画を評論する『週間映画時評 ムービーウォッチメン』の公式Youtubeです。

3 Comments

  1. 『はちどり』や『aftersun アフターサン』と似たものを感じたので、宇多丸さんが高く評価するのも納得。
    ただ、映画の内容を終盤まで語っていたので、「この人はどこまで話しちゃうのだろう」とハラハラしながら視聴させてもらいました。

  2. なぜ宇多丸氏の評論コーナーで、アナのつまらない感想を長々聴かされなきゃならんのだ
    始まる前か終わった後にやれ
    いちいち飛ばすのもストレスなんで、動画化の際にちゃんとカットしておいて下さい。

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